
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!
日本の復員事業は次第に軌道に乗ってきた。
残存していた空母二隻と病院船など比較的大きな船は休みなく稼働し、また米軍からも艦艇が供与された。輸送力の小さな駆逐艦は、そろそろ復員事業から外されて戦勝国へ引き渡されるという噂が広がった。
昭和二二年の六月下旬、旧日本海軍の小艦艇のうち四〇隻ほどが第一次賠償艦となり、引き渡し先の国名と併せて公表された。
響は、ほか九隻とともにソ連に引き渡されることとなった。船団を組んで佐世保に入って多少の補給を行う。目的地はウラジオストクの東、ナホトカ港である。
終戦からこれまで、二年近くが経っている。響は一四往復の復員航海をこなし、また座礁事故の救難にも二回、携わった。戦中は航空攻撃で艦首が真下に折れ曲がる大損害を受け、また触雷すること二度。戦後も損害軽微ながら紀淡海峡の北で触雷した。
古傷だらけの歴戦艦。あるいは不沈艦ともたたえられた響は、ソ連艦として新たな人生を始めようとしている。
「ロシア人が眩しさに目をそむけるほど、ぴかぴかにせよ」
そう命じたのは響最後の艦長、かつそれまで航海長だった島田第二復員官だった。総員は清掃におおわらわとなる。率先垂範すべき将校である浦賀は、素手でひたすら便所を磨いた。
響以下の九隻に、それぞれの乗員を乗せて日本に帰る輸送船二隻を加えた賠償艦の一団は、静かに佐世保を発った。数日の航海を経た夜明けは濃霧であり、やがて霧が晴れると、はるか彼方に黒々とした陸地が現れた。
艦隊はもっとも大きな響を先頭に単縦陣を組む。なお進むと、ソ連の砲艦が数隻現れた。いずれも砲門を、武装のない日本艦隊に向けていた。
「ご苦労なことだ」
かつてヤップ島で威嚇射撃を受けている島田艦長は、悠々としている。
「浦賀航海士、旗旒(きりゅう)信号だ。全艦停止。本艦も両舷停止」
「旗旒信号、全艦停止」
浦賀は復唱してから旗甲板へ行き、待機していた信号兵とともに数種の旗を組み合わる。晴れた空に昇ってゆく色とりどりの旗を眺めていると、言葉にならない様々な感情が胸を塞いだ。
やがてソ連艦も停止する。高波にあおられながら内火艇が発進し、将校以下一〇名ほどが響に乗り込んできた。
「本艦は響、私は艦長の島田です。海軍があったころは大尉の階級にありました」
艦橋では、島田艦長が堂々と名乗った。大佐だという中年くらいのソ連将校は、目を凝視の形に見開き、それからいぶかしむように細め、低い声で言った。
「艦長にしては若すぎる。怖がらなくてよいから出てきなさい、と本物の艦長に伝えなさい」
通訳が話し終えると、島田艦長は遠慮なく笑い声を上げた。
「我が海軍は指揮官先頭の伝統があり、身代わりを立てるなど不名誉な行為はしない。またユーモアを尊ぶ。前者の気概は貴海軍と変わらぬと思うが、後者のセンスは我が海軍のほうがいささか長じているのかもしれない」
今度は大佐が、野太い声で大笑した。
「ナホトカ港にて引き渡しを受ける。今日は風が強いから接舷に難儀するだろうが、日本海軍の技量を謹んで拝見する」
ようこそ、ソビエト連邦へ。大佐は一転して朗らかな顔と声で言い、そのまま艦橋に居座った。
響は航行再開の旗旒信号を掲げ、機関を始動した。相変わらず砲門を向けてくるソ連艦に追尾されながら、日本艦隊は静かに入港する。
ただし吹きつける風は「日本海軍の技量」などではどうしようもないほど強く、接舷作業は大いに手間取った。島田艦長はタグボートの援助を要求したが、大佐に「ない」とすげなく返された。仕方なく響は舷側にありったけの防舷物を並べ、体当たりするように接舷する。甲板で繋留作業を指揮していた浦賀が艦橋に戻ると、大佐が「見事だ」と称賛していた。ただし船酔いでもしたのか顔は真っ青で、声は低く頼りなかった。
落ち着く間もなく、陸からソ連将校の一団がやってきた。響の幹部一同で士官室にて出迎え、島田艦長が備品類の目録を提出、簡素ながら引き渡しを完了する。それから佐世保で積んだ日本酒を開けた。ソ連将校たちは水のように日本酒を飲み干したあと、不味(まず)そうな顔で「次はウォッカを用意してほしい」と要求して引き揚げた。
翌日からは兵科、機関科のソ連水兵が響に乗艦し、三日間の日程で響乗員から各機器や機関の操作を学んだ。日本人の説明は複雑でわかりにくい、ソ連兵に腕時計を強奪された、など双方から苦情が絶えず、浦賀たち響の幹部は艦内のあちこちで仲裁に入った。
「日本人の上陸を堅く禁じる」
自分の家のようにのっそりと艦橋に上がってきた若いソ連将校が、そう告げた。ただし「こちらの要望ながら上陸できない貴艦では用意できないだろうから」とも添え、ウォッカの瓶を数本置いて行った。おかげで両国の将校は昼に親密な引継ぎを行い、夜は濃密な酒気にまみれた。諍(いさか)い合っていた兵士たちも、いつのまにか笑って肩を叩き合う仲になっていた。
浦賀が複雑な光景に出くわしたのは、いよいよ響を降りて帰国の輸送船に移るという日の朝だった。士官室で朝食を終え、名残惜しさのあまり艦橋に上がると、島田艦長が窓辺に立っていた。
艦長は陸をじっと見つめている。その表情はあまりに切実だった。浦賀は黙って傍らに立ち、同じほうへ目をやった。
シャベルやツルハシを肩にして、ぞろぞろと歩く一団があった。遠目にもくたびれて見える衣服は、まぎれもなく日本陸軍のものだった。満州で捕虜となり、そのままソ連領内で労役に駆り出されているのだろう。
「連れ帰ってやりたいが」
島田艦長は窓に手を置き、声を絞り出した。
日本が同意した降伏の勧告、いわゆるポツダム宣言は、日本兵の速やかな帰国を約束している。浦賀たちが目の当たりしているのはソ連による宣言への堂々たる違反であり、違反を咎めない他戦勝国の怠惰だった
「俺たち、敗けたんだなあ」
島田艦長はうつむいた。
「悔しいなあ。彼らを置いて帰らにゃならんことが、本当に悔しいなあ」
おうい、と甲板から声が上がった。響の下士官兵が舷側にしがみつき、陸に向かって手を振っている。おうい、おうい。みな次々に声を上げるが、意味のある言葉は聞こえてこない。ただ「おうい」とだけ、絶叫している。
抑留者たちに望郷の念を抱かせては、なお残酷かもしれない、とも浦賀は思った。だが帰国船への移乗でなければ上陸すらできないフネの上からは、声を掛けるほかにできることがない。もし残酷であったとしても、帰るべき故郷がまだ、そして確かに地球上に残っていることを、下士官兵たちは伝えようとしているのかもしれない。
「帰国したら」
浦賀は言った。
「私は掃海部隊に行きます。彼らが日本に帰ってくるまでに、内地の海を隅々まで掃除しておきます」
海軍を志した少年のころと同じように、浦賀はほとんど瞬時に将来を決めた。
戦争はまだ終わっていない。なら終わるまで付き合ってやろう。どうせ付き合うなら掃海をやりたい。二度も触雷した奇縁があるのだから。
掃海か、それはいいな。島田艦長はぐずぐずと泣いたまま言った。
「俺も第二復員省に残る。相変わらず就職先が見つからんからな。聞くところによると、次の任務も賠償艦の艦長らしい」
「お互い、戦争の後始末を続けるわけですね」
浦賀は拳を握った。すでに降伏し、海軍もない。なのに戦意がふつふつとたぎっていた。 〈つづく〉
