結婚の儀 パレードで沿道の人たちに手を振られる皇太子ご夫妻(当時)。頭上に煌めくのは、美智子さまも身につけられたティアラ(1993年6月9日撮影 読売新聞社提供)
1959年、日本中がわいた皇太子殿下と美智子妃殿下(当時)の「世紀のご成婚」。美智子さまの頭上で煌めいていたティアラは、その祝賀ムードを象徴する美しさでした。このとき着用されたジュエリーのデザインを手がけた父・田居克己さんの思い出を、ファッション・エディターの田居克人さんが語ってくれました。即位礼正殿の儀が行われる本日、記事を再掲します(取材=上田恵子)

「無限の成長」を意味する唐草モチーフ

ミキモト創業者の御木本幸吉が、世界で初めて真珠の養殖に成功したのは1893年のこと。1899年には東京・銀座に日本初の真珠専門店「御木本真珠店」を開設し、真珠を供給する拠点を海外にも設けたことで、その名は世界に広がっていきます。1924年からは宮中御用装身具を謹製するようになりました。

私の父はミキモトの意匠室で、ジュエリーデザイナーとして勤務していました。東京美術学校(現・東京藝術大学)の工芸科彫金部を卒業後、ミキモトに入社したのは戦後まもない頃。ジュエリーが、一部のごく限られた人たちだけのものだった時代です。

なかでも真珠は非常に高価で、ものによっては家が買えるほどの値段でした。しかも終戦直後はアメリカの軍人や軍属にしか販売できなかったそうで、当時のミキモトでは陶器なども扱っていたといいます。

日本のジュエリーの会社で工場とデザイナーの両方を持っていたのも、ミキモトだけでした。顧客にはダグラス・マッカーサー夫人もいて、父は何枚もデザイン画を描いたことがあるそうです。夫人がアメリカに帰る際に差し入れてくれたのが『VOGUE』。海外のファッション事情がわかる雑誌は、きっと貴重な資料になったことと思います。

ご成婚にあたり、美智子さまがご着用になるジュエリーのご用命をミキモトが受け、4人のデザイナーの中から採用されたのが父の図案だったとか。父は、以前より植物モチーフを好んでいましたが、この時、無限の成長を意味する吉祥文様の唐草モチーフに、祝意を託したようです。

製作は、ミキモトの目黒工場で行われました。ティアラは香淳皇后のお手持ちのものを改作。ロイヤルウェディングに使われるものだけに、お祓いをし、素材一式を清めてから取りかかったそうです。

当時の「ミッチー・ブーム」は一種の社会現象でしたから、報道も過熱したのでしょう。正式な発表前に、製作段階のティアラのデザインが週刊誌に漏れてしまう騒動もあったとか。無事に完成して手を離れた時には、父もずいぶんホッとしたのではないかと思います。