女性たちの生の声に耳を傾けて
「江戸時代の性」というと、浮世絵や春画に描かれる風俗的なものや、吉原や遊女といったイメージが強いかもしれません。しかし私が本書で取り上げたのは、町や村に住むごく普通の女と男の性の営み。そこから浮かび上がる、家の問題、いのちとの関わり、女と男の関係を、公の文書や人々が記した日記などから解き明かしてみたいと考えました。
私は現在、岡山の大学で女性史を教えていますが、もともと明治以降の教育史が専門で、古文書やくずし字を読むのはあまり得意ではありません。30年前に江戸時代の妊娠や出産を研究したいと思い立ったときには、赤ん坊の「赤」と、「胎」や「腹」に使われる「月(にくづき)」しか読めないのに文書調査に行きました。今でも一文字ずつ確かめるように読むので、時間がかかります。でもそのおかげか、新しい視点で史料と出会えることもあるのです。
江戸時代には、家庭教育で文字を学んだ女の日記や手紙も見られるようになってきますが、農民女性の生の声を伝える史料が見つかるのは稀なこと。しかし2年前の夏、私は山形大学附属博物館で、ある史料と出会います。
約200年前、米沢藩の小さな山村に住むきやという女性が、夫の善次郎から不義密通の疑いをかけられました。きやは生まれた子が夫の子に間違いないことを示すため、村役人の前で「夫婦の交わり」がいつまであったかなどを申し立てました。善次郎も負けじと反論します。夫婦のもめごとは最終的に藩の裁定を仰ぐまでになり、その記録が文書として残されたのです。
はたして真相はどこにあるのか。史料の空白を埋めるために、他の史料も駆使しながら、読者と一緒に謎解きをするような気持ちで2人の顚末を追っていきました。本書の第2章で紹介していますが、読者から「ミステリーのように読めた」という感想も寄せられて、嬉しく思っています。実際に史料を読んだときの驚きと胸の高鳴りは、今も忘れられません。「きやが私を呼んでくれている」と感じた瞬間でした。