[特集]
「夏バテ放置」は危険がいっぱい
●注目記事●
〈すべては歌い続けるために〉
病のトリプルパンチを 受けて、
体の声を聞く 大切さを知った
安奈淳
――芸能生活56周年を迎える安奈さん。1975年、宝塚花組のトップスターとして演じた『ベルサイユのばら』のオスカル役は、人々に大きな夢と感動を与え、社会現象になるほどの人気を博した
当時は20代後半でした。舞台はスタミナ勝負とはいえ、焼肉を4人前食べたあとにデザートもペロリと平らげてしまうほどの痩せの大食いで(笑)。夏になると食に支えられていた日々を思い出します。それはきっと、スタミナをつけなければ暑さに負けてしまうと思ったからでしょう。
おかげさまで現在は元気に過ごしていますが、74歳になった今ではすっかり食が細くなりました。私の場合、特に夏場は暑さ疲れから自律神経のバランスがくずれがちで、ともすれば空腹感すら覚えなくなってしまう。そこで意識的に食生活を整えるようになりました。1日に3食、食べる時間もほぼ定めて、つまりルーティン化を図っているのです。
(一部抜粋)
[第二特集]
〈「8050問題」を知っていますか〉
「親80代、 働けない子ども50代」 という不安
●注目記事●
〈座談会 頼る勇気を出して〉
共倒れしない─。 家族にできることは
池上正樹×岩井志麻子×畠中雅子
池上 いま幅広い世代から関心を集める「8050問題」ですが、その多くは、言うなればひきこもり問題が長期化した結果。そのうえ、2020年からのコロナ禍でひきこもり層がさらに厚くなり、深刻さを増しています。
岩井 失業をきっかけにひきこもった人は、コロナが収束したらまた働きに出ればいい、というわけにいかないですよね。
池上 キャリアを積んできたのに、いきなり解雇されるわけです。これまでの経験を生かせる仕事ばかりではないし、コロナという特殊な状況下で、有効求人倍率は低いまま。当事者団体である「ひきこもりUX会議」の調査では、「この1年で失業して、ひきこもりになった」と自認する人は、全体の25%を占めるそうです。
岩井 社会から否定された、と受け取ってしまうんだろうなあ。私はこれまで、ひきこもりは不登校などがきっかけ、つまり10代から続くものだ、と思ってきたんですが、必ずしもそうではない、と。
池上 誰でも、何歳からでもそうなる可能性があります。
畠中 私はファイナンシャルプランナーの立場から、親の死後、働けない子どもが生きていくにはどうすればいいか、いわゆる「サバイバルプラン」を提案しています。相談にこられるのは主に親御さんですが、お子さんがある時期までは順調に社会生活を営んでいたケースは少なくありませんよ。
(一部抜粋)
[読みもの]
〈妻を見送り10年、ひとりは寂しい〉
パーキンソン病を得た今も
女性と連れ立って歩きたいね
みのもんた
現在、テレビの仕事はゼロですが、親父が創業した水道メーター製造・販売会社「ニッコク」で、代表取締役会長を務めています。会社には、月曜から金曜まで毎日行っています。お昼の12時半ぐらいに出社して、午後3時半には退社。実のところ、会長の仕事なんて1時間もあれば終わっちゃいますから。(笑)
12年の5月に妻の靖子ががんで亡くなり、以来、神奈川県・鎌倉の家でひとり暮らし。何とかやっていますよ。
仕事がもっとも忙しかった時は、週に朝に6本、昼に5本の生放送のレギュラー番組をもち、加えて特番もあったから、1週間に16本くらいテレビに出てたのかなあ。仕事を終えると銀座に繰り出し、帰るのは深夜。帰って、ちょこっと飲みたい僕のために、妻は何時になっても支度して待ってくれている。そして、朝の生番組があるから、数時間の睡眠ののち、またテレビ局へ。そんな日々でも、妻は文句ひとつ言わず、付き合ってくれました。僕の毎日の衣装の組み合わせは、すべて妻がスタイリストとして考え、用意してくれていた。今日着ている服も、妻が生前に買っておいてくれたものです。
妻はずっと僕を支え続けてくれた〈人生の同志〉でしたから、亡くなって茫然自失の日々でしたよ。妻を失ったあと、間をおかず亡くなる夫も多いと聞きます。だけど僕は妻のあとをすぐに追うのではなく、神が与えし運命に従い、「まだ生きよ」と言われるのなら、その日々を少しでも楽しく生きたい。それが先に逝った人への供養だと考えました。
(一部抜粋)
[カラーグラビア]
自己否定しっぱなしの僕に
母がかけてくれた言葉
柄本佑
僕は何か好きになると、「徹底的にハマる」タイプです。今は、K-POP女性アイドルの音楽ばかり聞いています。きっかけは、共演者の方がTWICEの動画を見せてくれたこと。その後ほかのアーティストも好きになって、、、、、とか……、この話、一度始めると止まらなくなりますよ。(笑)
もともとアイドルは大好きなんです。10代の頃は薬師丸ひろ子さんや松田聖子さんに憧れました。今だったら、「フィロソフィーのダンス」っていうグループが好きですね。
もうひとつ、子どもの頃から一貫してハマり続けているのは映画です。両親ともに俳優(父は柄本明さん、母は故・角替和枝さん)で、家でも映画の話ばかりという環境だったので、自然と僕自身も熱烈な映画ファンに。そんな自分が俳優の道へと進んだわけです。何よりの宝物は、巨匠たちの作品に出演できたこと、そして憧れの俳優さんと共演し、おしゃべりできたこと─。ひとりの映画ファンとして、なにより嬉しかったですね。
2011年に亡くなった原田芳雄さん、大好きな石橋蓮司さんや岸部一徳さんとも仕事でご一緒しました。子どもの頃から映画の中でよく見ていた方との共演は、ものすごく緊張しますが、その緊張も大事だと思っています。
(一部抜粋)
他にも、
〈コンサートレポート〉
なにわ男子
待ちに待ったデビューをその手に
〈熱海の7月豪雨を経験して〉
江原啓之
災害から身を守るために 私たちに必要な心構え
芦田愛菜
小さな幸せを大切にして
〈母娘二代で作家に〉
澤田瞳子
研究の道を断念した私の想像力が直木賞への扉を開いた
忘れえぬ女性たち
五木寛之
第2回 森瑤子 ガリガリと氷を噛む音
などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!