八ヶ岳倶楽部でインタビューに答えてくれた柳生博さん(撮影◎本社写真部)
俳優や司会者として活躍し、八ヶ岳でギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を創設、オーナーを務めていた柳生博さんが、4月16日、山梨県北杜市の自宅で亡くなっていたことがわかりました。85歳でした。柳生さんは息子の真吾さんを2015年に47歳という若さで亡くし、『婦人公論』2016年8月23日号で、当時の心境を語っています。

年間600本のテレビ番組、息子がいじめに…

柳生博さんは、息子の真吾さんと1989年にレストラン兼ギャラリー「八ヶ岳倶楽部」をオープンしてから、真吾さんが47歳で死去するまで、二人三脚で経営していました。

柳生さんが雑木林を作ろうと思い立ったきっかけは、真吾さんが小学生の時。当時年間600本のテレビ番組に出演するほどの忙しさで、何日も帰宅できないこともあり、家族となかなか会うこともできなかった時期に、真吾さんがいじめに遭ってしまったこと。上級生に『お前の親父、テレビで人殺してたな』と言われたことを息子に打ち明けられた柳生さんは、その当時の心境をこう語っています。

「もう、胸が押しつぶされそうになりました。けれど、うまい言葉をかけてやれなくて……。『父親としてどうしたらいいのだろう』『テレビの仕事をきっぱり辞めるべきか』といった戸惑いばかりが脳裏を駆け巡りました。ですがそのとき、祖父の顔がパッと浮かんだのです。僕は茨城の地主の家に生まれたのですが、祖父は僕に森や田んぼの作り方を教えてくれた師匠。僕が悩んでいると、いつも『野良仕事をしなさい』と促してくれました。実際、育ちすぎた木の枝を切ったり、雑草を刈ったりしていると、心が晴れていく。その感覚を鮮明に思い出したのです」

また、真吾さんが妻の有希子さんのお腹にいるとき、一緒に書いたノートの存在を思い出します。男の子なら柳生さん、女の子なら奥様のように育ってほしいと、それぞれの育ってきた環境を記録したそのノートを久々に見て「息子たちを理想どおりに育てられていない」ことに愕然。八ヶ岳で野良仕事をしようと決めたそうです。