47歳という若さで旅立った息子

真吾さんは自然が大好きになり、大学も農学部へ。「子どもができたら、八ヶ岳で一緒に野良仕事を」という思いから、結婚3年目に妻が妊娠すると八ヶ岳へ移住し、「八ヶ岳倶楽部」の代表になります。テレビ番組のMCも務め4人の子どもの父親に。柳生さんは4人の孫のおじいちゃんになります。

ところが、真吾さんは42歳で咽頭がんを発症。闘病しながら亡くなる直前まで、「野生のニホンミツバチを『八ヶ岳倶楽部』に呼びたい」と、奔走していました。東日本大震災の直後には、被災した方々を勇気づけたいと、日本全国から塩水に強い水仙の球根を約16万個募集。手術から1週間後に東北へ向かい、植えていきました。

しかし、47歳という若さで家族に見守られて旅立ちます。遺された家族を前に、柳生さんはこう言ったそうです。

野良仕事中の真吾さんと。99年秋撮影(写真提供◎柳生さん)

「『俺がしゃんとしなくちゃ!』という思いが一気に込み上げてきて。その夜、孫たちを集めて、僕はこう断言しました。『今は泣いてもいいけれど、必ず立ち上がろうな。頑張れ、とは言わない。今年の忘年会で、ジイジはみんなを〈よく頑張ったね〉と褒めたい。また、みんなからそう褒めてもらえる自分でありたい』と。それからは、ひたすら近い未来の話をしました。長女は〈幼稚園の先生になる〉、長男は、〈志望大学に合格する〉、下の2人も〈部活で全国大会に出場する〉。孫たちもそこに向けて鍛錬すると誓ってくれて、ホッとしました。その後、本当に全員がその誓いを成就させたのです。それは本当に嬉しかったな」