(撮影:本社・中島正晶)
闘病中の夫を持つ妻の正直な心境……。家族、人生に真摯に向き合ってきた女性たちの手記を、作家の山本一力さんはどう読み解いたのでしょうか。
(構成=篠藤ゆり 撮影=本社・中島正晶)

時代を先取り、自立した夫婦関係

今回、3篇のノンフィクションをそれぞれ3回ずつ読み直しました。どの作品も重たい内容で、皆さん、書くにあたってはそれなりに腹を括っているはずです。自分が経験したことを言葉にして、多くの人に読んでもらうことによって、心を分かち合う。書くことで自分が救われる部分もあるのだろうな、と感じました。

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島田美由紀さんの「脳出血に倒れた夫と22年経って辿り着いた平穏な暮らし」。68歳というから僕よりちょっと下で、ほとんど変わらない世代なのに、夫婦でお財布が別々ということに驚きました。

僕たちの世代が社会人になった頃は、給料袋をもらう時代。持ち帰ってカミサンに渡して、その中から小遣いをもらうというのが当たり前だった。ですが、このご夫婦はすでに別々にしていたというのは、時代を先取りしていましたね。

この方が若い頃は、男性と同等の収入が得られる職業は限られていて、その代表が教師の仕事だった。それだけに筆者の自立心が旺盛なのかなと感じました。こういった夫婦関係も増えているのでしょうね。

夫の退職金について、「不自由な体でもなお定年まで働いたのだ。退職金をどう使おうが、夫の自由だ」という一文がありますが、取りようによっては夫を突き放しているように感じられるし、文章全体のトーンもそういう色合いがあります。

夫がチェンマイに3ヵ月行ったときも、「26年ぶりに夫から解放された私は、一人暮らしを楽しんだ。(略)ふわふわ浮かれて、(略)空に舞い上がってどこかへ飛んでいきそうだった」と言う妻。男というのは女性に対して幻想があるから、つい、ちょっと冷たい奥さんだなと思ってしまうけれど、案外多くの女性の本音なのかもしれない。それも新しい発見でした。

夫の人となりは、リハビリの先生の言うことを聞かずに自己流のトレーニングに励んだというところから、なんとなく想像がつきます(笑)。僕は物書きとして生きているけれど、結構な肉体労働だし、将来の保障もないから、カミサンが見つけてくれたホットヨガやピラティスの教室に通って健康維持に取り組んでいます。

そのなかで、ひとつ決めているのは、インストラクターに言われたやり方を必ず守る、ということ。プロに従わず自己流を持ち込むのは、いい結果にならないから、絶対よくないです。

その点、島田さんの夫は、リハビリに限らず、いつも「自分は正しい」と思っている自分軸の人なのかもしれません。かつて空手をやっていて、ふだんから「オレはオレのやり方を貫く」と根性主義を貫いている可能性もある。お互いフルタイムで働きながら、家事や子育ては妻任せだったようですから、まさに昭和の男。実際には妻がいろんなことを我慢してきたのかもしれませんね。

そう考えると、夫を突き放すような態度もいたしかたないかなという気も。よく離婚しなかったなと思いますよ。でも、あれこれ愚痴っぽくならず、シニカルな本音を書いているのがいいと思います。

一見、突き放した関係性に見えて、「好きなように生きたい」という点では似たもの夫婦なのかもしれないとも感じました。なんだかんだいいながら連れ添ってきて、ほどよい距離感を保ち、互いに自分の好きなことをしながら共同生活を続けていく。それも夫婦のひとつのあり方なのかもしれません。夫婦が100組あれば、100の形がある。改めて、そう思いました。