(イラスト:横尾智子)
日本人の死因は、1位が悪性新生物、2位が心疾患、4位が脳血管疾患となっている。がんとちがって、血管系の疾患はある日突然人を襲う。その時、本人と家族の生活はどうなるのか…。蒸し暑さを感じる初夏のある日、島田美由紀さん(仮名・福島県・無職・68歳)の夫は突然倒れた。1本の電話で家族の暮らしは一変――。懸命にリハビリに励む夫だが、子育てと家事、仕事に奔走する妻に在宅介護の不安がのしかかる。

5時間に及ぶ開頭手術で一命をとりとめた

2000年の初夏、53歳の夫は公立高校で3年生の学年主任を務めていた。結婚して8年目に授かった子どもは、私立の中高一貫校に入学したばかり。47歳の私も職場である公立小学校で新しい職域の担当者となり、仕事の負担が増えていた。

梅雨がやっと明けて、青空に積乱雲が見える土曜の夕方。ほぼ毎週末、顧問を務める空手部の大会で出かけていた夫が、めずらしく家にいた。「まだ明るいけど、久しぶりにビールが飲みたいな」という。私も、「いいね。初夏のビアガーデン」と応じた。翌日は、夫の母校の大学でインカレの大会があり、審判を務めるのだとか。

日曜は、朝から夏到来の晴天だった。蒸し暑さを感じながら洗濯を干し終えた11時半頃、突然、電話が鳴った。夫が空手の試合中に倒れ、救急車で搬送されたという。

事態がよく呑み込めないまま、子どもと病院へ向かった。空は明るいのに、ハンドルを握る腕は重く、胸は鉛を飲んだように重苦しかったことを覚えている。

病院に着くとすぐ、若い脳外科医からレントゲン写真を見せられ、「太い脳血管から脳全体に及ぶ大出血があり、生命の危険があります」と説明を受ける。最悪の事態を覚悟したが、5時間に及ぶ開頭手術で、夫は一命をとりとめた。

2週間後、まだベッドから起き上がることもできない状態で、リハビリテーション専門病棟がある病院へ転院。初めの3ヵ月くらいは、子どもと一緒に見舞いに行っていたが、目立った変化はなく、息子はしだいに学校の勉強や部活を理由に行きたがらなくなった。