退院の準備が本格的に進むにつれて、私は夫と別れたほうがいいのではないかと思い悩むようになった。フルタイムの仕事をしながら、病を抱える夫とどう暮らしたらいいのだろう。とはいえ、子どもと2人でアパート暮らしを始めるのも現実的ではない。新築してまだ3年、ローンもだいぶ残っているし、私が仕事を辞めることもできない……。

悩んだ末に出した結論は、離婚はせず、同居を続ける。これまで通り家事と子育ての一切を私が担当し、夫はリハビリに専念する。食費や日用品費は私の給料から出し、税金や光熱費、家のローンは夫の口座から引き落とす。子どもの学費は折半。そう夫とも話し合って、私は腹をくくった。

 

私も退職。思う存分楽しんでいる

家に戻った夫は、職場復帰を目指してさまざまなリハビリを開始。新しい機能回復トレーニングの情報が入れば、東京や横浜、名古屋へも一人で出かけた。列車やバスの長距離移動で自信がついたのだろう。発症から1年半後、職場復帰可能の診断がおりた。

職場の公立高校までは、列車とバスを乗り継いで、片道1時間半。ラッシュ時、列車から降りるのに時間がかかってドアに腕を挟まれたり、座る前にバスが発車して転倒したり。薄氷が張っているところに杖をついて転んだこともあった。そのたび、「俺は柔道の受け身を覚えているから、大事にはいたらないですむ」と、めげることなく起き上がった。

一番ひどかったのは、家を出てすぐのところで転び、したたか顔面を打ち血だらけになって帰ってきた時だ。鼻血がすごく、近くの耳鼻科へ行くと、「鼻の骨が折れています。救急車を呼ぶので、手術できる救急病院に行ってください」とのこと。

夫が外で怪我をするたび、ハラハラおたおたするのは私だ。電話がかかってくれば、私が行ってなにがしかの対応をしなければならない。

そんなふうに4年が過ぎ、夫は定年を迎えた。同じ年の春、息子も第一志望の大学に合格し、家を離れた。その直後、夫は同病の方とタイのチェンマイに3ヵ月の療養に出かけるという。

26年ぶりに夫から解放された私は、一人暮らしを楽しんだ。なんと身軽なことか。ふわふわ浮かれて、仕事がなければ、空に舞い上がってどこかへ飛んでいきそうだった。