本音を言えば、家に戻ってほしくない

一口に脳出血と言っても、右脳か左脳かで、だいぶ様相が違う。夫の場合、左脳は大丈夫だったようで、発音は少し聞き取りづらくなったが、話しぶりは以前とあまり変わらない。だからこそ、夫は機能回復トレーニングに熱心に取り組んだ。理学療法士との歩行訓練だけではだめだと、自己流で階段の手すりを使った昇り降りを繰り返していた。

ある時、看護師さんにそれが見つかって、キツく注意されたらしい。それでも夫は、職員のあまり通らない階段を探し、昇り降りに励んでいたようだ。半年を過ぎた頃には、杖をつきながら病院の長い廊下を歩けるようになっていた。そして年が明け、夫は家に戻りたいと望むようになった。

重度の左半身マヒを抱え、いったいどうやって自宅で生活するというのだろう。休日の土曜が病院通いで終わってしまうのは不満だが、夫の世話はその時間に限定される。それ以外は、以前と変わらぬ母子家庭のような暮らしだ。

そもそも夫は、学校勤務と部活動と研究活動で、休日もほとんど家にいなかった。本音を言えば、夫には家に戻ってきてほしくない。けれど、勤務の合間をぬって家のバリアフリー化や手すりをつけるなどのリフォームを進めるしかなかった。

退院に備えて、外出のためリハビリのサポートもするように言われた。病院から歩いて5分のところにある老舗のそば屋さんへ。夫は杖を頼りに慎重に進んでいく。私も前になったり、後ろになったりして見守り、15分ほどかかって店に到着。

夫は久しぶりの天ぷらそばを喜んで食べていたが、うまく口まで運べず食べこぼしてしまう。疲れもあったのだろう。帰りの横断歩道を青信号のうちに渡りきることができなかった。思わず夫の右手を引っぱろうとしたら、「危ない。引っぱるな。バランスを崩す」と怒鳴られた。