特別養子縁組で45歳で長男、47歳で長女を迎える

不妊治療は体力的にきつくて、そこでようやく舞台を諦めたんです。29歳から40歳までの約10年、舞台に力を入れてきましたが、不妊治療に入ると先の予定が立てづらくなるので、短期でできるリポーター業のようなお仕事だけに絞りました。

40歳から44歳までのまる4年、不妊治療を頑張りましたが、お金もかかるし、精神的にもしんどくなって、何回かやめようとしたんです。でも「もう1回すれば、きっと」とやっぱり諦めきれなくて。

左から上田美穂、古谷文乃、武内由紀子、稲葉貴子、中野公美子

44歳で本当に治療をやめようかと悩んでいた時期に、大きな舞台の話が来ました。今まで憧れていた演出家のG2さんの舞台で、(漫才師の)博多華丸・大吉さんの華丸さんが主演。もし妊娠・出産したら舞台はできなくなる。

「この舞台を最後にしよう」と決め、舞台の準備期間と上演期間が終わったらすぐ戻れるようにして治療を中断し、お受けしました。

上演が終わって最後の治療に入ったんですが、やっぱり子どもはできませんでした。ですが、舞台に出る前に終わりを決めていたので、悔いはなかったです。

病院で、最後の治療の支払いを待っている時「養子」という言葉が突然頭をよぎりました。「こっちの道を選ぼう」とスイッチがパチンと切り替わった感じです。夫もその場にいたので、養子について伝えたら、その日は「ちょっと考えさせてほしい」と言いましたが、すぐ賛成してくれて、2人でいろいろと調べ始めました。

最初から、子どもを迎えて家族になることを決め、特別養子縁組を選択。45歳の時に、民間団体から長男を迎えました。生まれたら特別養子縁組に預けると決めている方が産んだお子さんを引き取ったので、新生児から育てて、今は5歳になります。

いきなりの子育てで大変だったか、ですか?でも事前に勉強して準備してましたし、産んだ方よりは体力を消耗していないので、大丈夫でしたよ。

不妊治療をしている時も、子どもは2人ほしかったんです。なので、長男にきょうだいを作ってあげたいと思い始めました。

最初は何人も養子にするのは無理だろうと思っていましたが、調べてみると、必ずしも駄目ではないとわかり、また団体さんに相談。養親としての審査や研修を経て、47歳の時に新生児の長女を迎えました。今は3歳になります。

真実告知はしています。
それぞれ、産んでくれたママの名前は言えます。が、どれくらい理解しているのかはまだ小さいのでわかりません。上の子が3歳のお誕生日から産んでくれたママが別にいる事はお話しています。それを聞いて育っている下の子は、自然と覚えた感じです。