長老を敬う心が薄れている
まさし 僕らもう老人じゃないですか。老人の力って、本来もっともっと大きくなきゃいけないと思っているんです。老人の言葉が届かない社会は誤った社会だと思っている。
ネイティブ・アメリカンのイロコイ族では、悩んだら最長老の老婆に相談するというのがルールだったんだって。
若い衆が相談をして、最長老の老婆に相談しに行く。そしたら、老婆が悲しそうな顔をしたら、その件は持ち帰る。嬉しそうな顔をしたら、その件は通るっていうやり方をやってたっていうのを本で読んでね。
日本の最長老の老婆という人が悲しそうな顔をしたときにはやめようって言える社会じゃないでしょ?
タキ そう、高齢者を単なる弱者と見なして、長老を敬う心が薄れている。でも、嘆くばかりでも仕方ない。
まさし もちろん年寄りの責任もあるよね。
タキ 老害と言われるような年寄りはたしかにいる。とは言え、年齢を問わず“老害”的な存在の人はたくさんいるけれど。
まさし タキ姐は団塊の世代じゃないでしょう? その前。
タキ 1945年生まれだから二つ前。
まさし 僕は1952年生まれだから団塊の世代のちょっとあとなの。タキ姐と僕はちょうど団塊の世代を挟んでんのね。
タキ そうそう。
まさし その団塊の世代が、今の日本の老後の正体なんですよ。
タキ うん、圧倒的多数ね。
まさし だから、僕は泉谷しげるさんとか谷村新司さんによく責任取れって言うんだけどね。「ちゃんと責任取ってくれ」。すると彼らは「お前も仲間じゃないか」。「僕はつながってるけど、後輩だから」と言い訳するんだけど。老人力というものがこの国から消え去るっていうのは文化の喪失だなと思う。
タキ けれど、憂えてばかりいられないよね。
まさし そう。「で、どうする?」というのがタキ姐への相談なの。