等高線は誰でも慣れれば読める

山に登ることもなく子供の頃から家で絵ばかり描いていた私が、等高線と最初に出会ったのは中学1年生の社会科の授業であった。

入学式からまもない4月の授業で、先生に見せてもらった本物の2万5千分の1地形図の精緻さに大いに魅せられたのがこの世界に入るきっかけである。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

それからは宿題でもないのに住んでいた横浜から東京にかけての地形図をせっせと買い、帰宅してからは時間を忘れて図に描かれた等高線を眺めては現地の風景を想像していた。

そんなわけで自然に読めるようになり、以来どんな等高線を前にしても現地の起伏がだいたい目に浮かぶ。

嫌みなことを承知で言えば、「読めない」という感覚がわからない。

これは幼少期から音楽のレッスンを続けて絶対音感を獲得した人が自然に音程を把握できるのと似ているかもしれない。

私には絶対音感がないので、茶碗に何かが触れて鳴った音を聞いて「少し低めだけどソのシャープ」などと断言する彼らの感覚は理解できないが、それと違って等高線は誰でも慣れれば読める。