中年バースデー改革
そんなお祭り騒ぎを経て、おばさんの仲間入りをした頃から「誕生日は静かに過ごそう」と気持ちに変化の兆しが現れた。仲の良い人と時間があえば個別に会って、好きなものを奢ってもらう。割り勘でも構わない。それが決行されてもなれなくても、どちらでも良い。タイミングがあえば行こうかくらいの感覚。
私はフリーランスで働いているので、その日を休みにすることが多い。普段は仕事に追われてなかなか行けない美術館やレストラン、神社、日帰り温泉、時には推しやテレビドラマのロケ地(熱血ドラマオタクです)聖地巡礼と過ごす。人からどう思われようと、今日は私にしか訪れない祝日だ。
加えて、現代っぽい話だと思うけれど、最近、SNSの誕生日表示を外した。あの通知によって当日はありがたいことに「おめでとうございます!」ラッシュになることもあったけれど、返信が大変なのだ。私がそんな現象には知らんふりできるような大物かといえば、違う。ひとつずつ、コメントを返す。「この人いつ会ったっけ?」と思いながら、コツコツと返すのが誕生日翌日の恒例行事。
表示を切るまでは「本日、誕生日です」投稿をしていた時期もあるけれど、それもやめた。もう人生の折り返し地点の近くまで生きているのだから、覚えてくれている人が連絡をくれたらいい。
と、こんなことを並べていると、誕生日縮小図のような寂しい話になってしまうけれど、そうではない。繰り返すが、「好きに過ごしたらいい」ということ。大勢に祝ってもらおうが、ぼっちだろうが、普段と変わらず仕事をしようが。当日の過ごし方の選択権は自分にある。ただ自分が当日から1歳、年を重ねることは忘れないでほしい。