年賀状、卒業組に
年末なので空いた時間に整理整頓、処分、掃除を進めている。その最中、いつも「とりあえず」とあらゆる書類を避難させている棚から、ここ数年間で私宛に届いた年賀状が出てきた。
束になった年賀状を1枚ずつ眺めた後、ブーイングされても構わないと処分を始める。甥や姪の写真や手書きのメッセージ(たいがいは何かを買ってくれ、連れて行ってくれと記されている)がついたものは、記念として保管。ただそれ以外は処分。私の住んでいる東京23区内は家賃が高い。保存スペースにも、高額な支払いをしているようなものだ。我が家が大邸宅で、蔵でもあるならまだいいけれど、ここは独身が暮らすごく普通の1LDKのマンションなのでね。
さて人からいただいだ年賀状を処分しているということは、だ。私も年賀状を書くことを3年ほど前に卒業した。それまで送っていた相手は一部の友人、フリーランスで働いている以上、自分を忘れないでいてもらおうと、いう営業年賀状。1枚のはがきに淡い期待を込めながら、長年続けてきた。が、特に効果を感じる場面はなかった。SNSなどにアップする、仕事の実績のほうがダントツにレスポンスがある。
受け取った相手の中には、年賀状をすでに卒業している人も多い。おそらくコンビニで購入した年賀状で「わざわざご挨拶をありがとうございます」と、返信してくる人もちらほら。なぜコンビニで買ったのがわかるのか?コンビニ独特のデザインで、住所は手書き。自分で用意したハガキなら、住所はプリントされているもの……と、この状況が大波小波のように続き、年賀状離れと至った。
この波は私だけではなく、年賀はがきの発行枚数は13年間連続で減少と、世間一般にも広がっている。日本郵便もこの数年間、イメージキャラクターにアイドルを起用したり、何かと起死回生に務めてきたものの、回復には至らなかった模様。もちろん書くという行為はすばらしいし、忙しない年末にペンを持つことだけでも尊敬する。
が、そんな日本郵便の切なる思いとは裏腹に、私も年賀状を書かなくなった。その卒業物語について、エピソードを共有したい。