フランソワ・オゾン監督作品の魅力

オゾン作品がほかの凡庸なミステリーと違うところは、まずそのファッションセンス。2023年の『私がやりました』でも衣装は冴えまくっていましたが、その担当はこの『8人の女たち』にも素晴らしい衣装を纏わせたパスカリーヌ・シャヴァンヌ。冒頭に現れる長女のシュゾンがドアから入ってくるなり、そのバービー人形のような装いに釘付け! 服から靴から旅行鞄からピンクのチェックでコーディネートされ完璧!

こういう配慮は一級の監督や作品の証。かつてジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』を見た時は、税金も払えない傘屋を営む母子家庭の娘カトリーヌ・ドヌーヴとその母が「貴族ですか?」と言いたくなるようなファッションに身を包み、カラフルかつ豪華な部屋に住んでいるのには失笑を抑えられませんでしたが、「画面が美しければ設定の破綻などどうでもいい」と言いそうな、ドゥミ監督の美意識が見え痛快でした。巨匠ジャック・ドゥミ監督作品はどれもファッションと画面の色彩計算、音楽の使い方が完璧ですが、フランソワ・オゾンも又その系譜をひいてます。

オゾン作品の更なる特徴は、「女たちの魅力を引き出すことが最大の目的で、男たちはその小道具に過ぎない」という点。男たちは痛快なくらい軽んじられていて、殺された「パパ」ことマルセルは、最後まで顔さえ出てきません。これは、女たちの世界で彼は何の意味もない存在であることを暗喩しているのでしょう。

最新作の『私がやりました』でも、男たちの扱いは実に軽い。女たちの魅力や生き様の「強度」の前で、男たちは翻弄され、罰を受け、私たち観客はそれを見て留飲を下げるのです。オゾンはそのあたりの女性心理を実によく掴んでいます。

オゾン監督はゲイであることを公言してますが、其れとこのことは、多分無関係ではないでしょう。おそらく彼は非常に女性に対してニュートラル、と言うか、実に女性目線。女性を性の道具にすることもなければ、妙に「聖母」のように理想化して崇めることもない。だからこそ「本当の私を引き出して!」と、大女優たちが出演を望むのだと思います。彼はロジェ・バディムやセルジュ・ゲンスブールのようなテストステロン出しまくりの「女優キラー」監督とは全く性格を異にしています。