「わかる」ことから始まる
年々心の病気を患う方が増えていると感じます。最近は著名人がうつ病を公表するなど、認識は変わりつつありますが、今なお偏見が残っているのも事実です。差別や偏見をなくすには、心の病気について「わかる」ことが何よりも大切。その入口を示したくて、この本を書きました。
もともと私は病院の精神科で働いていました。今は大学で精神病理学を教えながら、週に1日は診療を続けています。本書では大学で教えている内容を、もう少しかみくだいて解説しました。精神病理学は、患者さんの主観的体験、つまり本人がどう感じているのかを研究する学問。言葉を聞き、体験をそのまま写し取ることで、患者さんの心の中で何が起きているのか、どんなことに困っているのかをひもときます。
例えばうつ病になると患者さんは時間が遅くなったように感じます。周囲はふつうの速さで動いたり考えたりしているのに、自分だけ前に進めない。中には「脳がなくなった」という妄想を抱く方もいますが、頭がゆっくりとしか動かない状態は、本人にとって「脳がなくなった」としか表現しようがない。こうした心の状態がわかればどう接するのがいいかわかり、本人も周りも生きやすくなるでしょう。本書では他に、統合失調症、PTSD、摂食障害をはじめ、発達障害や認知症などについても、その心の動きを解説しています。
偏見の目は、周囲から向けられるだけではありません。患者本人も自分に対して偏見を抱くことがあります。診療を行う際、よく「この薬はずっと飲まなければいけないのでしょうか」と聞かれます。その裏には、「私はずっと病気のままなのでしょうか」という不安がある。でも、例えば高血圧と診断されて「ずっと病気のままなのか」と意識する人のほうが少ないでしょう。条件としては同じはずなのに。
昔は心の病気になることを「発狂する」と言い、一度発症したらもう戻れない一方通行のイメージがありました。しかし、実際には多くの方が回復しています。と言っても、回復=病気になる前の状態に戻ることではありません。うつ病で休職していた人が以前と同じ働き方をしたら、もう一度同じ病気を繰り返すことになりかねません。残業せずに仕事を切り上げる。未完成であることに耐えられる能力をつける。以前とは違うライフスタイルを身につけ、より懐の深い生き方をすることが回復につながるのです。
心の病気を「わかる」うえで大切なのは、上ではなく同じ目線に立つことです。患者さんを「正しい形」に押し込めたり、善意からであっても、相手にとって何が良いことか一方的に決めつけたりしない。相模原の障害者施設で入所者を殺傷した男も、「障害者を救ってあげよう」という「善意」から事件を起こした側面があるでしょう。善意や優しさは、危険な場合もあるのです。一歩立ち止まり、相手が何を望んでいるのか同じ目線で考える。そのためにも、正しい知識が必要なのです。
歳を重ねると、家族やペットとの別れ、病気といった喪失体験が増えます。それを機に、うつ病を発症する方も少なくありません。さらに家族や自分の認知症の不安も生じてくる。誰しも他人事ではありません。だからこそ、心の病気に対しても「バリアフリー化」が進むといいなと思います。それが、すべての人にとって暮らしやすい社会をつくることにもつながるのではないでしょうか。