「見る人が見ればわかる」ように作られている
私にはヨノイとセリアズの関係から、キリスト教徒を迫害したサウロを連想した。サウロは熱心なパリサイ派のユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害するが、「私をなぜ迫害するのか」という天の声を聴いて失明。やがてキリストの弟子に癒されて視力を取り戻し、改心してキリストの弟子になる。後に「パウロ」の名で広範な宣教をし、ローマ帝国に処刑された。
映画の中でヨノイは、パウロのように目覚めこそしないが、自分にキスをするという「無礼な」振る舞いをしたセリアズを斬ることもできず興奮で昏倒する。この時の坂本の演技は秀逸だ。何か「理解を超えたもの」を見た様が見事に表現されている。おそらくこの瞬間、彼の心にはセリアズ、すなわち神の愛を受け入れる隙間が出来たのだ。
愛の受容の物語はやがてヨノイの死後に、「メリー・クリスマス、ミスター・ロ-レンス」という、ハラの言葉と笑顔で完成するのだ。大島渚はあえて宗教的主題を表に出ないように隠したのだろうが、十分に「見る人が見ればわかる」ように作られている。確かに手応えのある作品、そして素晴らしい音楽だ。
その後ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』を観た。オリジナル全長版の219分を選んだので「1週間かかる」と思っていたが、観だすと止まらない。1日目は30分観て「続きは明日」と言う主人に従ったが、2日目は、先に投降した主人を置いて、明け方までに全部観てしまった。面白過ぎて観るのをやめることができない。観ながらずっと「映画を観る喜び」に胸が打ち震えていた。