2020年には相愛大学客員教授に就任。その授業風景(写真提供◎哲夫さん)

諦めたら仕事が舞い込んだ

いつの間にか六足のわらじを履いていますが、僕自身はお笑い以外の仕事をしようと考えたことは一度もないんですよ。どれも《好き》が高じてこうなっただけ。好きなものはとことん追求してしまう人間なので、それが結果的に仕事にもつながったという感じです。

仏教マニアであることも、漫才に支障が出るかもしれないと思って最初は隠していたんです。ところが、テレビ番組の企画で楽屋を抜き打ちチェックされ、ネタ帳に般若心経を写経しているのが見つかってしまった。

そしたら、事務所の出版部門が「仏教の本を出しませんか?」と。さすが吉本、徹底的にイジってくるなとあきれましたよ(笑)。それなら受けて立とうと般若心経の本を書いたところ、これがものすごく売れまして……。

一番驚いたのは僕です。バレたなら仕方ないと諦めた途端、本の執筆や講演など次々に新しい仕事が舞い込んできたんですから。でも同時に、ああ、そういうことかと得心もしました。

仏教では、「諦(あきら)める」と「明(あきら)かにする」の語源は同じ。「諦めたら明らかになり、真理が見える」という意味です。つまり僕も、「バレてもええわ」と諦めたことで心を覆っていた余計なものが取れ、本当の自分が明らかになったんだと思います。

仏教に詳しいというイメージが漫才の邪魔になるのでは、という心配も見事に外れました。バレたからといってウケ方も変わらない。仏教がお堅いと思われがちだからこそ、ボケが面白くなることもある。むしろ人に笑ってもらえるジャンルが増えたな、と。そんな具合にすべてがうまくつながり、仕事の幅も広がっていったんです。