『婦人公論』名物企画に見るデジタル《最初の一歩》
やる、やらないの分かれ道は?
「井戸端会議」では1960年代の電脳社会到来から、職場へのパソコン導入、インターネットの楽しみ方、さらにはネット依存症まで、技術の進歩とともにさまざまなテーマを取り上げてきました。いま読み返してみると、記事の内容もさることながら、論客それぞれの新技術への向き合い方に個性が感じられ、興味深いものが。
たとえば、82(昭和57)年4月号の「OAはOL人生をどう変える」では、司会の田原総一朗さん(当時48歳)が「OAという言葉があると、ぼくなんかまずひっかかる。ぼくらとはまったく異質なもので、イヤなものだという拒絶反応がある」と発言しています。
田原さんはその14年後、同じく「機械オンチでもパソコンはできる」(96〔平成8〕年8月号)で「パソコンは4台目」と言って出席者を驚かせるも、「使うのは僕ではなく女房(笑)」。デジタルとは距離を置く姿勢を堅持しています。
一方、好対照なのがこの回のゲストの俵万智さん(当時33歳)。「5、6年前からワープロを使い始めたんですが、インターネットもやってみたいと思い、去年パソコンを買い」、パソコン通信でフォーラムを主宰、参加者と情報交換や連句を楽しんでいて、当時としては最先端のユーザーです。
田原さんと共に司会を務める石井苗子さん(当時42歳)に至っては18歳からパソコンを使い、「ほとんど玩具」という域。
少し意外なのは、98(平成10)年3月22日号の「インターネット裏の愉しみ」で司会の糸井重里さん(当時50歳)が、「僕はコンピュータに触ったことがなかったんです。それが去年の11月10日の僕の誕生日に、何かしたいなあというので、秋葉原に行って自分用のパソコンを買いまして」と話していること。
デジタル初心者だった糸井さんですが、同年6月にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げます。その「ほぼ日」は現在、日本有数のページビューを誇るサイトに。「何かしたいなあ」からの糸井さんの行動力に改めて驚かされます。