「オーバーツーリズム」と「ツーリズモフォビア」

観光公害は京都だけでなく、世界中で問題になっている、きわめて今日的な社会課題でもあります。

オーバーツーリズムの先駆けであるヨーロッパでは、バルセロナ、フィレンツェ、アムステルダムといった、世界の観光をリードしてきた街を中心に、その弊害が盛んにいわれるようになり、メディアでは「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」という造語も登場するようになりました。

ちなみに「オーバーツーリズム」という言葉は、2012年にツイッター(現:X)のハッシュタグ「#overtourism」で認知されるようになったものですが、現在では国連世界観光機関(UNWTO)が、「ホストやゲスト、住民や旅行者が、その土地への訪問者を多すぎるように感じ、地域生活や観光体験の質が、看過できないほど悪化している状態」と、定義を決めています。

『観光亡国論』(著:アレックス・カー、清野由美 中公新書ラクレ)

この定義では数値ではなく、住民と旅行者の「感じ方」を重視しているところが特徴です。すなわち、多くの人が「観光のために周辺の環境が悪くなった」と思う状態が、オーバーツーリズムなのです。

観光による地域活性の"優等生"であったバルセロナやフィレンツェですが、今では世界中からやってくる観光客が、京都以上に住民の生活を脅かすようになっています。

観光名所が集中するバルセロナの旧市街は、もともと高い人口密度を持つエリアでした。そこに格安航空会社や大型クルーズ船の浸透で、年間4000~5000万人という観光客が押し寄せ、交通やゴミ、地域の安全管理などの公共サービスは打撃を受けました。

やがて観光による経済振興以前に、自分たちの仕事環境、住環境、自然環境をいかに守るかが、住民にとっては最優先の課題となり、観光促進をリードした町の市民たちが「観光客は帰れ」というデモを実施。町には「観光が町を殺す」といった不穏なビラが貼られるようになりました。

観光の成功事例であったがゆえに、バルセロナはオーバーツーリズムに苦しむようになったのです。