近ごろの神社仏閣は「指示」「注意」「商売」に

『観光亡国論』の著者の一人であるアレックス・カーは日本の「神道」に関心を持ち、インバウンドツアーに向けた特別参拝の手配や、神道の歴史についてのレクチャーなどを行ってきました。

神社と神道の儀式は、水で「禊」、「大幣」で清め祓いを行い、「祝詞」をあげて「祓へ給ひ清め給へ」と願うなど、あらゆる形で潔癖で、清らかな「神の世界」を表しています。

『観光亡国論』(著:アレックス・カー、清野由美 中公新書ラクレ)

「神社の境内は『神が宿る地』ですので、参拝する際には手と口を清めます」と、外国からの参加者には説明します。が、その後でみんなを連れて神社を訪れると、境内は見苦しい看板だらけ。潔癖どころか、ゴミゴミした環境を見て、「清らかさはどこにあるのか」と彼らに聞かれます。

確かに近ごろの神社仏閣は、歴史や信仰というよりも「指示」と「注意」、または客を迎える「商売」の場になってしまっています。

寺社がそのような状況であれば、町中はいわずもがな。通りを歩けば、店や商品の宣伝看板の洪水。聖域から俗域まで、都会から田舎まで、いたるところ看板だらけで、それが景観への大きな阻害要因になっているのです。