つくられた「学校=悪」という構図

もちろんその当時、学校の現場にはさまざまな矛盾もありました。僕自身、金八先生のように、学校教育の矛盾や理不尽な教師の姿に強い怒りを感じることも多々ありました。

ただ冷静に現実を振り返ると、問題は発生しているけれども、意図して問題を発生させようとか、悪意をもって誰かを追い詰めよう、としていた教師ばかりではありません。良かれと思ってやっているうちに結果として、問題を生み出してしまったケースもたくさんあります。

先生たちが、自己保身や責任回避に走り、それによって子どもたちを追い詰めていく、という構図は大きな勘違いです。

ところがいったん「学校が悪い」という図式ができてしまったら、元には戻れません。テレビドラマが繰り返しその図式を浸透させる役割を果たしたのだとすれば、悲劇的ともいえるでしょう。

日本の文化や日本のメディアは、わかりやすい対立の構造が好きです。

『3年B組金八先生』は、結果として「学校教育に問題がある」というイメージを広く根づかせました(写真提供:Photo AC)

明快な対立を作ったほうがドラマとしてもヒットするし、視聴者も喜ぶ傾向にあるからです。

もちろん、ドラマを通して学校の問題がクローズアップされたこと自体は、非常に意味があります。しかし、対立がクローズアップされ、問題の根本的な「原因」が見えにくくなってしまったのでは本末転倒です。

学校を批判すれば正義である、というお定まりの図式が金八先生のヒットによって定着したとすれば、それはもっと深刻な問題を生んだことになります。

『3年B組金八先生』は、結果として「学校教育に問題がある」というイメージを広く根づかせました。

そうした風潮によって、新たな問題が生まれていきます。