こんなに器の小さい人だったのか
「別居も考えました。でも、子育てでしか自己肯定感を得られなかった自分を見つめ直し、自らの足で立てるようにならなければ、生活もできない。一念発起して、会計事務所でアルバイトとして働くことにしたんです。夫は急な展開に顔をしかめたものの、娘から『お母さんにはお母さんの人生があるでしょ』と言われて、のむしかなかったみたい。50代からの遅いスタートでしたが、勉強を重ねた末に正社員となり、役職も与えていただいて。ようやく自分に自信が持てるようになりました」
一方で、夫は職場で出世競争に敗れる。仕事三昧だった夫は憔悴し、かつ、躍進する妻への嫉妬を隠せない。夫婦の老後も考えて働いているのに、香澄さんに対してことあるごとに嫌みを口にした。
職場の同僚を褒めれば、「あえて持ち上げることでもない」とバッサリ。上司に高級料理をご馳走になった、と口走ろうものなら、「そんな店、俺は何度も行ったことがあるが、最近は味が落ちてダメだな」。
「オシャレで、頭が切れて、仕事ができて。尊敬する部分があったからいろいろ耐えてきたけど、こんなに器の小さい人だったのかと、もうがっかり。私が定年して、これ以上ふたりきりの時間が増えたらどうしよう、と思うようになりました」
しかし定年を迎えた香澄さんは、その頃、めっきり食欲がなくなり、やせ細っていく夫の身体が心配で病院へ連れていく。医師から告げられた診断は、つゆほども想像していなかったステージIVの肺がんだった。
「夫に死が迫っている事実を突きつけられた瞬間、『死なれたら困る。私をひとりぼっちにしないで!』と痛切に嘆く私がいたんです。それに私が働いていなければ、夫の病気にもっと早く気づけたのではないかと、自分を責めに責めました」
夫の身勝手さは、死を間際にしても変わらない。入院中に隠れてたばこを吸っているのを何度も看護師に見つかり、とうとう先日、強制退院させられた。香澄さんは、自宅で看病せざるをえなくなったと苦笑する。
「しょうもない人でしょ? だけど、いま全力で支えなかったら後悔する自分が想像できる。夫のどんな願望も受け入れようと決めたんです」
夫婦でともに走れる残りわずかな時間をいかに深く送るかが、いま、香澄さんの生きがいになっている。
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私は、子どもというかすがいがなくなったあと、夫婦をやめる例を身近に見てきた。物心ついた頃から不仲だった両親が、妹の結婚を見計らったように熟年離婚したのだ。
しかしこの3人の妻たちのように、思いがけないできごとが、新たな絆を生むこともあるのだろう。そして相手への思いが深まる可能性も。それが夫婦なのかもしれない、と実感した。