「右に出るものなし」と断言したい

私は今上映中のミュージカル版を見た後に、1985年のスピルバーグ版を見た。アカデミー賞10部門にノミネートされながら無冠に終わった、まさかのスピルバーグ作品。

確かに、力が入りすぎたのかスピルバーグらしい迫力に欠ける。しかし無冠だったからこそ彼の中で、この作品のリメイクとリベンジが、大きな課題となったに違いない。

その後30年近い歳月を経て出来上がったこのミュージカル版『カラーパープル』は、その迫力、感動、俳優たちの存在感など全てにおいて「右に出るものなし」と断言したい。

この作品は僅か100年前のアメリカを舞台にしている。主人公のセリーはたった14歳で二度目の出産をし、翌日には父親によって子どもを取り上げられ、どこかに売られてしまう。

悲嘆にくれるセリーの心の拠り所は、妹ネティだけ。しかしセリーはまもなく、まるで「牛1匹をくれてやる」という感じで、父親に結婚を命じられ、「ミスター」と呼ばれる男に嫁ぐ。

その嫁入りのシーンを見るだけで泣きそうだ。ドレスも式もなく、馬に乗った夫の後を徒歩で行く嫁入り。その生活は文字通り「セックス付きの家政婦」。

あまりにも悲惨なのだが、それを淡々と受け入れていくセリーの態度にも驚かされる。最新版では説明がなかったが、85年版では「2回とも父親によって妊娠させられていた」ことが明らかだ。受け入れ難い筋立てだが、それで抵抗もせず、精神を病む訳でもないセリーは強いのか、教養の欠落ゆえに怒りの感覚が鈍いのか。