家選びの決め手になった蔵。現在は焼きあがった作品の保管場所になっている

箱根の家にゲストハウスを建てたのも、今の家に大人8人は余裕で座れる大きなダイニングテーブルを入れたのも、母が折に触れて「人が集まってくる家にしてね」と言っていたからです。

なにごともスピーディであることが重んじられる時代ですが、人との繋がりばかりは一朝一夕にはいきません。日頃からご近所さんとあれこれお話しして、いただきもののお裾分けをしたり、頂戴したり……この4年で、だいぶ地域との繋がりが深まったように思います。

とくに新型コロナウイルスに翻弄される生活になってからは、近くにいる人たちと繋がることの大切さ、ありがたさを痛感しました。人を介してモノや気持ちが巡っていく。これこそ、始末だと思うのです。

そして、年齢も年齢ですし、無理をすることはもうよさなければ、とも考えています。昨年末、久しぶりに箱根の窯で壺や器を焼いたのですが、夫と交代で7日間窯の火を見張るのは過酷な作業でした。そう遠くない日に、自力での窯焚きを断念せざるをえなくなるでしょう。

57歳のときには、27年間続けていたマラソンを「これ以上走ると肝臓を悪くしますから」と医師から止められて《卒業》したことがありました。女優業が多忙な時期に体を壊したことで始めたマラソンは、私にとって人生の一部になっていましたから、しばらくは諦めきれなくて……。体調を崩してしまうほど落ち込みましたね。

自分が愛していたことを手放すのは、身を切られるようにつらい。でも、未練がましく追いかけるより、「これからできること」に目を向けようと決めています。減ったぶんだけ、きっと風通しがよくなるはずですから。軽やかになった身と心で、人生をまだまだ楽しみたいんです。

越してきた時は、ここを終の棲家にするつもりでした。でも、朽ちていくモノに新たな命を吹き込む楽しさを知ってしまったので、「また家を造りたい」という気持ちがふつふつと湧いてきて。先日、「この家は人に貸して、もう一軒造らない?」と夫に言って呆れられましたが、いつか私はやり遂げてしまう気がしているの。(笑)

【関連記事】
山口恵以子「91歳の母を自宅で看取り、今は要介護5の兄と2人暮らし。築35年の家は、シロアリ駆除、床下の補修と大規模修繕」
紺野美沙子「息子の独立、母を看取り、愛犬も見送って。生活を見直すタイミングで始まった氷見と横浜の二拠点生活。断捨離してこれからはモノよりコトに」
桐島かれん×桐島ノエル「母・洋子が認知症に。聡明だった母は自分が自分でなくなる不安に取りつかれ、精神的にもひどい状態だった」