なぜタイムカプセルだったのか

しかし、そもそもなぜ「タイムカプセル」を埋めることになったのでしょうか? 

東海村観光協会の受付。村のマスコットキャラ”イモゾー”が皆さんをにこやかにお待ちしております(写真:『婦人公論.jp』編集部)

実は取材に際して、今回の件と直接関係のない方からも「何かのイベントで埋めた気がする」「学校単位で埋めた覚えが」という声をチラホラと耳にしました。

津田さん「おそらく当時の流行り、だったのかもしれません」

調べると、かつての大阪万博やつくば万博など、特に万博開催を記念してタイムカプセルを埋めるイベントが開催され、それを発端に、全国的にタイムカプセルが流行していった、という時代背景があったようです。

ちなみに1970年の大阪万博では、松下館に展示していたタイムカプセルを二つ、大阪城本丸跡に埋めており、一つは毎世紀初頭、もう一つは1970年から数えて5000年後の6970年に開封されるそうです。

かくいう私も、1985年につくば万博で行われていた「科学万博ポストカプセル2001」に参加し、そこで出した手紙を2001年に受け取った覚えがありました。当時、茨城県内での万博の盛り上がりはすごかったので、村のタイムカプセル事業にも影響があったのかもしれません。

津田さん「掘り出したカプセルは、事前に許可を頂いた方の作文とともに『東海村歴史と未来の交流館』で、24年3月17日まで展示しています。作文の返却は24年6月30日までで、送料はかかりますが、観光協会のホームページからも受け付けています。必要な書類や受け取り方法については、そちらで確認頂きつつ、この機会にぜひ当時の夢を振り返ってみてください」