私しか、稼ぐ人がいないんだから

祥子さんは、地方の出身です。短大進学で上京し、卒業後は大手企業に一般職として就職しました。時は男女雇用機会均等法の黎明期。祥子さんは均等法1期生でした。広報や営業補佐、企画など、事務方の仕事を続けて来ました。明るく気さくな姉御肌で、仕事も出来ます。どの職場でも後輩の男性社員らに慕われ、中心的な存在になりました。

でも、祥子さんの会社はすっごい男社会です。なかなか昇進させてもらえず、同じ立場の同期は最低でも課長になっている現在もまだ、肩書きは課長補佐のまま。上司によっては、わざわざ申し送り事項に「名和田は要注意。昇進させないように」と書いて、祥子さんの出世を阻んだほどです。自分よりも立場は下だけれど仕事のできる祥子さんが、出来ない上司にとっては目障りだったのでしょう。ある時など、上司に不当に低い評価をされたり、考えた企画と手柄をまるごと横取りされたり。それでも祥子さんは新卒で入った会社に、ずっと尽くしてきました。

そんな会社なら、とっとと見切りを付けて辞めてしまえ、と思いがちなところですが、祥子さんは真面目な性質です。「辞めたくても辞められないのよ。私しか、稼ぐ人がいないんだから」。自分1人なら身軽でしょうが、実は、祥子さんは田舎の実家を背負っていたのです。

祥子さんは4人きょうだいの長女。父母は祥子さんが上京後に離婚しました。実家の母は飲食店を経営し、女手一つで弟たちを育て上げました。あちこちに多額の借金のあった父を、離婚後も死ぬまで経済的に支え、家屋敷を売ってまで億単位の借金を肩代わりしました。妹や、地元にUターン転職した弟にも、なにやかやと母は金を出していました。そんな母に、祥子さんは仕送りをし続けました。毎月とボーナスのたび、お金を送っていました。3年前に母が末期がんだと分かってからは、仕送り額を増やすために、家賃を3万円下げて、狭い部屋に引っ越したほどです。

その母が、2年前に亡くなりました。母の遺品を整理していて、祥子さんは、実家のいろいろな問題に気付きました。すべての記録や書類をきちんと母が残してくれていたためです。

『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)