パワハラ上司に目の敵に

母の病気が発覚した頃は、職場でも祥子さんはつらい時期でした。パワハラ上司に目の敵にされたのです。取引先との段取りを全部済ませた後に、上司がしゃしゃり出て行きます。パワポの資料を作っても「ここを直せ」と、ごくごく細かい直しを要求してきます。

「私が作ったのが気にくわないんでしょ。あんな、自分で直せるくらいなのに。とにかく、なにか手を入れたかったんでしょ」。同僚が「大丈夫?」と心配するほどでした。

母の病気が分かった直後に実家に帰った時も、わざわざ実家まで電話で細かい問い合わせをしてきました。担当外のことにもかかわらず、です。その数ヵ月後、余命の短い母が、家族みなで食事をしたいと言った時も、飛び石連休の中日に休暇を申請したのに認められませんでした。母と弟妹たちとの食事会のためだけに、祥子さんは往復8時間近くかけて、泣きながら日帰りで地元に戻りました。翌日の平日、会社に祥子さんでなければこなせないような急務はなかったのに。ほとんどいじめのようです。

にもかかわらず、祥子さんの考えた企画は横取りされ、その上司の手柄になってしまいました。ずっと仕事人間で、会社に忠誠心を抱いてきた祥子さんですが、ここに来て、すっかり切れてしまいました。母の死後、もっと適当にやろう、でも、定年まで居続けて、お給料はもらおう、と思うようになりました。

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会社の定年は65歳まで延長になりました。60歳を過ぎるとどのくらい給与が減るかは分かりませんが、年金も65歳からなので、65歳まで働くしかありません。母への仕送りのため節約した家賃分は、いまは貯蓄に回せます。そこで、祥子さんは老後の家を買うことを考え始めました。つい1ヵ月ほど前から、不動産仲介業者に頼み、物件を探し始めました。そこで初めて、弟の借金をかぶった銀行のフリーローンや、実家のリフォームローンが、自分の与信枠を狭めている、と気付かされたのです。