「当時、呉服業界の方々は、ウェディングドレスを敵視していました」(撮影=大河内禎)
結婚式では和装が主流だった時代に、日本で初めてウェディングドレスのデザインを手掛けた桂由美さん。今に至るその歩みは、まさに日本の「ブライダル」の軌跡そのもの。ドラマティックな人生を振り返っていただくと――(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)

<前編よりつづく

業界からの反発でマイナスからのスタート

私がヨーロッパに行くことを知ったある女性週刊誌から、海外の著名人にインタビューをしてほしいという思いがけない依頼がありました。たとえば、女優からモナコ公国の公妃となったグレース・ケリー。駆け出しのデザイナーが、おいそれと会ってもらえる方ではありません。

そこで洋裁学校の顧問をしてくださっている議員の方に相談したところ、後に外務大臣となる三木武夫さんが、私をサポートするよう各国の日本大使館に手紙を出してくださったのです。

おかげでパリ滞在中、グレース・ケリーにインタビューすることができ、約10ヵ月の滞在中には、オードリー・ヘプバーンやソフィア・ローレンといった大女優ともお目にかかれたのです。

帰国して、64年にショップをオープン。当時、いくつかの女子大でアンケートを取ったところ、約4割の女子大生が結婚式にウェディングドレスを着てみたいと希望していました。ところが実際は、100人中97人が和装で結婚式を行います。なぜかというと、お姑さんがウェディングドレスでは納得しないから。

当時、呉服業界の方々は、ウェディングドレスを敵視していました。百貨店の婦人服部長と交渉した時は、「呉服はドル箱だからドレスは売れません」という答えが返ってくる。マイナスからのスタートでした。

折しも日本は高度成長期を迎え、ブライダル産業も成長していたころ。そこで呉服業界が考えたのが、お色直しというスタイルです。式は打ち掛けで、お色直しは振袖。2種装うことで需要を増やそう、というアイデアです。

お色直しが定着してくると、女性たちは、「せっかく2着着るなら、1着はウェディングドレスにしたい」と主張するようになりました。こうして少しずつ、ウェディングドレスが普及していったのです。