内田さんは、NHKラジオ『子どもと教育電話相談』『子どもの心相談』を88年から23年間担当し、現在も精力的に講演や執筆活動を続けている

「明治生まれの父は、『女が教育を受けると生意気になる』と、姉や私の大学進学に反対でした。それを救ってくれたのが、実は『婦人公論』(笑)。母が書いた小説が『婦人公論』の第一回女流新人賞を受賞して、賞金を学費の一部にあててくれて進学できたのです」

大学では学生運動に没頭し、あまり真面目に勉強しなかったと笑う内田さん。しかし、学生運動を通じてさまざまな市民運動にも関わることで、力を持つ側ではなく、常に少数の側、弱者の立場からものを考える姿勢が身についたと振り返る。

四大卒の女性はほとんど就職先がない時代、卒業後しばらくは大学の臨時職員として働いた。やがて学生運動を通じて知り合った男性と結婚し、子どもが誕生。30代になって始めたのが総合病院で働く心理カウンセラーの仕事だった。

「病院にはお腹が痛い、頭が痛い、熱を出す、下痢をするといった症状で小児科を受診する子どもがたくさんいます。そのなかで、検査をしてもどこも悪くないという子どもが、心理室に紹介されて来ました。不調の原因はいじめや体罰が多く、学校に問題があるのではと考えるようになったのです」

振り返ってみると内田さん自身も、小学生時代は体が弱く欠席してばかりだった。自分の体調が悪くなったのは、いじめや軍隊帰りの若い教師が何かというと革のスリッパで子どもの頭を叩くのが怖かったり、嫌だったりしたからではないか。「あら、私も同じだったじゃない」。そこから、登校拒否・不登校問題と深く関わっていくことになる。

「私が働いていた27年の間に、心理室の閉鎖やスタッフの解雇といった危機が4回もありました。処分撤回を求める闘いが精一杯で、立場は非常勤のまま、収入も微々たるもの。『いつやめても結構ですよ』という態度です。こちらは働く目的がありますからね。何より、子どもとその家族の相談の場をなくしちゃいけないと思ってふんばりました」