現代映画界の純文学
今回の『プリシラ』に関しても、「エルヴィスの楽曲を管理する会社が、彼の曲の使用許諾をださなかったの。だから彼の曲は使えなかったけど、その分自由な映画作りをさせてもらったわ」とコメント。実に根性のある大人の女性なのだ。個人的には彼女のことはとても好きである。
ただ、話題になった『マリー・アントワネット』なども、映像美や女優の魅力の引き出し方は文句なしなのだが、歴史観などを打ち出したものではなく、淡々とアントワネットという少女の美しさ、愚かさ、純粋さを描写しただけの処があり、「え、ここで終わるんですか?」と言うあっけない終わり方。
「アンチ・ロマン」ともいえる、ある意味腰砕けな構成がこの監督の癖。(笑)
今度はちょっと違うかな?と、期待したが、この『プリシラ』も特に大きな盛り上がりもないまま、あっけなく終わった。でも、不思議と引っ張られて観ちゃうんですよ。最後の挿入歌などもとてもよくて、ジワリと心を打たれた。あえてドラマ性を打ち出さないのが、彼女の美学なのか。
「ガール・カルチャーの旗手」という評価はまさしく正鵠を得ていて、恋愛の機微、「ああ、男ってこういう反応するよね」とか、皮膚感覚的な恋愛描写は上手いことこの上ない! そういった細部を活かすために、あえてクライマックスを作らず、大きな構成をとらないのかもしれない。となれば彼女の作品は、現代映画界の純文学と言える。