「ANOTHER LIFE」を楽しませてくれる

そういえば、映画にもなったマルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』は、「18歳で、私は年老いた」という一文から始まる。少女は愛を知ると一気に「女」へと変貌していき、年上の恋人よりはるかに老成していくものだが、それは10代で「母親」になることが可能な女性の生理に裏打ちされた強さなのだろう。

『カラー・パープル』の主人公セリーが、子どもを産んだにも関わらず、いつまでも幼かったのとは対極的。愛を知ることなしに、女の精神の成長はあり得ないのかもしれない。逆に言えば男を心から愛した時、たとえ10代であっても少女は女へ、そして母へと変貌していける。

果たして、愛する男の好みに合わせて自分を変えるのは、自立していない証拠なのだろうか? むしろ「相手の思うままになってあげたい」という優しさ、受容力は、自立なんかよりもっと深い価値があるんじゃないか?

私たちは「男の為に尽くすだけではだめ。手に職や学歴を手に入れて自立しなさい」と教育されて大きくなった。男好みの服を着れば女友達に「媚び」だと非難されるのを恐れて、あんまりガーリーな服装もできなかった。

でも本当は、うんとガーリーに着飾り、愚かと言われても男の理想の女になって、全身全霊で男に愛されたかったんじゃないか?

『プリシラ』は、私たちが自立と引き換えに捨ててしまった、もう1つの「ANOTHER LIFE」を楽しませてくれる稀有な映画なのだ。フェミニズムに染まってしまった女性監督には、絶対に構築できない世界がそこにある。