タイのバンコクで「渡鬼」が生まれる

私たちは一時期、同じマンションに住んでいました。夜中の3時頃にわが家のチャイムが鳴るので起きて出ていくと、橋田さんが「今、夫婦喧嘩しているからすぐ来て」。行くと、岩崎さんの背広が切られているんです。やったのは橋田さん。彼女は岩崎さんを好きでしょうがないけど、激しい人なので、喧嘩をするとけっこうすごかった。(笑)

その岩崎さんが肺腺がんになった時のこと。本人には病名を知らせないよう橋田さんがお医者様にお願いしたのですが、当時はNHKの大河ドラマ『春日局』の準備中。1年間書き続ける自信がないから降りたいと相談されたので、「絶対にダメよ。大きな仕事だし、降りたら、岩崎さんは自分の病気が重いことに気づいてしまう。だから精いっぱい仕事をしなさい」と…。

それから1年後、岩崎さんは亡くなりました。

橋田さんと何度もご一緒した「東芝日曜劇場」が単発ドラマ枠を終了することになった頃、局から1年の連続ドラマをやってみないかと言われました。私は連続ドラマはやらない主義でしたが、「石井さんの好きな作家でやっていい」と言われたのでお受けして、橋田さんに声をかけました。当時はいい時代で、今までのご褒美もかねて2人で好きなところに旅行して内容を話し合ってください、と。 

そこで橋田さんの希望で、タイのバンコクに出かけました。その間に2人であれこれ話すなかで生まれたのが、『渡る世間は鬼ばかり』です。

1989年、『渡る世間は鬼ばかり』が生まれる直前のこと(写真提供◎石井さん)

5人姉妹の人生を描こうと決めて考えているうちに、タイトルはどうしようという話になり――橋田さんは、「《渡る世間に鬼はなし》ということわざがあるけれど、《渡る世間は鬼ばかり》のほうが面白いんじゃない?」。真意を聞くと、「自分は相手のことを鬼だと思っていたけれど、実は自分もまた鬼だった。そういうことなのよ」。それは面白いということで始まったのです。