偉業

少し前に、元国民的プロ野球選手の王貞治さんにお話を伺う機会がありました。

通算868本のホームラン世界記録を持つ王さんによると、ホームランを打った瞬間にボールがどこまで飛ぶかが分かるそうです。

その時の感覚・爽快感は何物にも代えがたかったそうですが、それ以上に、自分がホームランを打てば観客が喜び、スタンドが沸き上がり、日本中の国民が勇氣や希望を持ち、国中が一つになるような感覚を抱いていたといいます。

『ウェルビーイング・シンキング』(著:高橋ゆき/日経BP)

日々の練習は本当にきつく、苦しいものだったと思いますが、王さんは「ホームランを打ちたい」という一心で、少しも氣をゆるめることなく、練習に魂を込め、全力を注いでいました。

ホームランを打つことが、自分にとって一種の使命、お役目のように感じていたそうです。

このお話を聞いて、王さんは、プロ野球選手という職業を、まさに“志事”ととらえていたのだと感銘を受けました。覚悟を持ち、志を全うすることだけを考えていたのだと思います。

「プロなんだから手を抜かずに、もっとしっかり練習しろ」と言われているうちはそこまでだということをおっしゃっていましたが、“志事”と腹をくくり、志と行動を合致させ、人生を懸けて臨んだからこその偉業だったのだと改めて感じました。

なお話はややそれますが、私は「氣」の文字に、旧字を使っています。气(きがまえ)の中の「米」は四方八方に広がるイメージを表し、「氣」の字はエネルギーを発散している様子を示している、と考えているからです。読者の皆さんにもそうしたエネルギーを感じてもらいたいので、ところどころで「氣」の字を使わせていただいています。