「紫式部ゆかりの寺」廬山寺。撮影時、山門には「桔梗 咲いています」の看板が(撮影◎筆者 以下同)
NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO  日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。

前回「『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった」はこちら

紫式部の身分

大河ドラマ『光る君へ』を見ていて、いつも気になるのは、まひろ(紫式部)の家がかなり質素に描かれていることです。

乳母や従者の人たちには「姫さま」と呼ばれていますが、貴族なのに家屋は驚くほど簡素で、ボロボロといってもいいほど。仕えていた花山天皇が出家し、父親が官職を失ったあとは、衣についた泥も気にせず、庭の畑の野菜をみずから収穫するといったありさまで、「姫さま」にはとても見えません。

一方、上級貴族の道長は、広大で立派なお屋敷に住んでいます。

愛し合っていても、身分が違うために結ばれなかった――それを強調するために、わざとこのような描き方をしたのだと思いますが、実際の紫式部は地方官などを務めた中・下流貴族の家の生まれ。あくまで貴族なので、ドラマの描写にはちょっと首をかしげてしまいます。

もっとも、「宇治市源氏物語ミュージアム」の家塚智子館長によると、今回の大河ドラマが放送される前から、「紫式部の身分は低かった」と誤解している人が少なくなかったのだとか。

「紫式部の父・藤原為時は越前(現在の福井県付近)を治める越前守(えちぜんのかみ)だったので、現代では福井県知事に相当します。その娘である紫式部は、身分が低かったわけでも、貧しかったわけでもないんですよ。ただ、為時は役人としての出世が芳しくなかったため、家柄は悪くないのに清貧だった、というのが実情かなと思います」

そもそも、それなりの身分に生まれなければ、1000年前の女性が、漢詩を嗜むといった高い教養を身につけることはできないはず。「紫式部は身分が低かった」などと考えてしまうのは、現代の私たちが、紫式部や平安時代の社会について、いかに知識不足であるかを示しているように思います。