道長に促されて『源氏物語』を執筆?
話を紫式部に戻しましょう。一人娘を育てながら、この地で、彼女は『源氏物語』を執筆しました。早くに母と死別し、結婚2年半で夫・宣孝にも先立たれる。そんな失意と孤独のなかで、物語の創作に没頭したのではないでしょうか。
当初は近しい人のあいだで読まれていたものの、やがてその評判が貴族社会に広まり、藤原道長の目に留まった――それが定説ですが、道長に執筆を依頼され、当時は貴重品だった墨や紙を提供されてから書き始めた、という見方もあるようです(『藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』倉本一宏著、文春新書)。
このあたりのいきさつを、『光る君へ』ではどのように描くのか。これまでのドラマの流れを考えると、彼女の才能を知る道長が、それを開花させるべく、全力で執筆を促したと考えるほうがしっくりくる気がしますが、いかがでしょう。
紫式部が『源氏物語』を書き始めた時期ははっきりしないものの、夫が亡くなった1001年以降であることは間違いなさそうです。
また、記録のなかで『源氏物語』の存在が最初に確認できるのは1008年となっています。
彰子が敦成親王を出産した祝宴の席で、当代きっての歌人である藤原公任(きんとう)が、酔った勢いで、紫式部に「このあたりに若紫さんはいらっしゃいますか?」と声をかけた――『紫式部日記』の同年11月1日の記述に、そう記されているからです。(それゆえ、2008年を「源氏物語千年紀」として、様々な記念行事が行われました)
このことから、少なくとも1008年の秋には、上流貴族のあいだで『源氏物語』が既に話題になっていたと考えられているのです。