平の手代が上司にする報告スタイル

このように若手の手代が顧客の信用調査を実施したわけだが、実際の文言を読むと、若手の手代が役づき手代に顧客の信用情報を報告する形態がとられていたことがわかる。

たとえば、万延元年(1860)7月の事例では、「右〔の顧客について〕聴き合わせましたところ、まず相応にございます。いまだ〔顧客の担保物については〕家質に差し入れておらず、しかしながら取り組み(契約)のことはしっかりと御勘考(ごかんこう)ください。右あらまし承りましたまま写しおくものです。9月12日、〔松野〕喜三郎」とある。

これによると、顧客の提供する担保は相応で、いまだ家質にも入っていない(顧客が他者に家屋敷を質に差し入れて金銭を借り入れていない、つまり担保の家屋敷に先取特権が設定されていない)こと、しかし契約を結ぶかどうかについては入念に審査してほしいことを、平手代の松野喜三郎(まつのきさぶろう)が意見する形をとっている。

「御勘考ください」という文言をふまえると、これは明らかに上司である役づき手代に対して報告したものだ。

したがって、信用調査書は、基本的に、平の手代たちが顧客の信用調査を上司の役づき手代に報告するために作成されたものであり、この報告書を役づき手代たちが審査して、契約を結ぶかどうかの判断を下したと考えられる。

あくまで平の手代には審査し、契約の承諾を決定する権限はなく、その権限は基本的には役づき手代たちにあったといってよい。