「仕事では厳しく、世間では《鬼検事》と言われていた夫ですが、根っこは明るい」(明子さん)

検事として、福祉家として、変わらない想い

 振り返ると、私は典型的な仕事人間でした。検事時代の30年間、妻はお国のために夫を差し出したと思っている、と言っていました。その後の30年間は、福祉活動に熱中し、社会のために夫を差し出した。そろそろ夫婦の人生を楽しみたいと思っていた矢先に、僕が倒れて――。本当に申し訳ないと思っているし、謝るしかない。

明子 いえいえ。そもそも夫は、私の兄の親友で、中学時代から尊敬していました。私の両親は明治生まれで、女に学歴はいらない、高校を出たら花嫁修業を、という考え方でしたが、私は進学したかった。「勉強したかったら大学に行ったほうがいい」と、父を説得してくれたのもこの人です。

大学卒業後は中学の先生になり、夢中で取り組みましたし、やりがいがありました。その後、仕事と家庭の両立が難しくなり、夫を支えることに専念しよう、と。それは私の意思でした。

力 僕は仕事を大事にするあまり、自分の気持ちばかり優先してきた。57歳で早期退職し、ボランティア活動を軸とした福祉の世界に舵を切ると言ったときも、一切反対されなかったですし。

明子 その前から、あなたは福祉関係の本を読んでいたでしょう。あぁ、そういうことに関心を持っているんだな、と感じていました。

力 大袈裟な言い方かもしれないけれど、人の役に立つことが自分の喜びで、これは僕の人生観でもあるんです。どんなに小さなことでもいい。でもそれは、あなたも同じでしょう。

明子 下の子が小学校に上がったころから、ボランティアを続けてきました。在宅で重度脳障害のお子さんを看ているご家庭にお手伝いに行ったり、一人暮らしの高齢者の生活支援や、老老介護をなさっているご夫妻のサポートをしたり。

特別養護老人ホームで、洗髪後にドライヤーをかけるボランティアもしたし、配食サービスをするグループに参加したこともあります。夫の、制度を作るような大きな仕事に比べたら、自分ができる範囲のことだけですが。