ミシンの脚にシンクを載せた洗面台がアンティークな雰囲気(写真提供:石川奈津子さん)

80年代、私は作詞家でした。当時はアイドル全盛期。依頼が途切れることはなかったのですが、難聴が進み、音程が歪むようになりました(個人差があります)。私は絶対音感があったので、そんな微妙なピッチのズレが精神的に苦痛。

レコーディングに立ち会っても、聴こえに自信がなく、作詞家として意見がいえない。クラシックの演奏会に行っても、フルートやヴァイオリンのような楽器は高音域に入ると、旋律がぷつりと消えてしまう。音を楽しめなくなったら、それは音楽ではありませんでした。

音楽を失った私は、エッセイを書いたり、コメンテーターとしてテレビ出演する仕事にスライド。聴き取れない言葉は、話の流れや、相手の唇や表情で予測し、生放送もこなしていました。でもストレスでした。

結婚を機に、東京から京都に引っ越したのは、40歳前。聴き取りはさらに難しくなり、テレビ出演も少しずつフェイドアウト。京都で見た、味わったものを文章にする仕事にスライド。流れのままに生きてきたのです。