(写真提供:石川奈津子さん)
1980年代、「セシル」「You Gotta Chance」「最後の言い訳」など数多くのヒット曲の作詞家として活躍してきた麻生圭子さん。聴力の衰える病気が深刻化したため、エッセイストに転向。その後、結婚し、京都、ロンドンを経て、琵琶湖畔に移り住み、夫婦でセルフリノベーションした水辺の家での生活を楽しんでいるようです

<前編よりつづく

「やっと一人暮らしが終わった」

1年前に夫がつぶやきました。いえ、別居していたわけではありません。仲が悪かったわけでもありません。でも、会話がなくなっていた、できなくなっていたのです。

ここ数年で、私の耳はほとんど聴こえなくなっていました。進行性の難聴なので、結婚したころは、会話できていたんですよ。私の場合、音量より音域に問題があり、高音から欠けていく。サイレン、火災報知器などの音は大きくて音も聴こえないんです。

外でコミュニケーションが必要な場合は筆談かスマホの音声変換アプリ。夫はそれを嫌うので、うちはいつも黙食、無言で食事。団欒というものはありませんでした。聴こえない親の聴こえる子どもをCODAといいますが、配偶者の場合はSpODAというんですよ。本人だけじゃなく家族も辛いのです。

それが私もわかっていなかった。

1年前、人工内耳の手術を受けました。一対一でゆっくりなら、会話ができるようになりました。一人暮らしが終わった、というのはそういう意味です。

人工内耳は自分の耳は使いません。外部装置で音を電気信号に変換、インプラントした内部装置の電極から電流を聴神経に伝えます。音は聴こえるようになりますが、あくまで人工的な音。合成音です。音程(ピッチ)もありません。それを言葉として聴き取れるまで、リハビリしていきます。手術から1年経ちましたが、未だリハビリ中です。

でも脳はすごいんですよ、そんな合成音を、少しずつですが、記憶の音に近づけてくれる。夫の声はほとんど記憶の声に戻りました。音楽も記憶にあるメロディなら、それらしく聴こえる人もいます。私もメロディをなぞれるようになりました。自分が作詞した歌なら聴こえます。