旧古河庭園

美しいといえば、私は花の中で薔薇の花が一番好きだ。私が知る中で最も大相撲に詳しいファンで、私が「師匠」と呼ぶ方が、昨年、国指定名勝「旧古河庭園」の薔薇の写真をメールで送ってくださり、今年は見に行こうと計画していた。近所の家を見たら花の開花が早いので、旧古河庭園の薔薇の盛りは今ではないかと思い、5月8日に焦って見に行った。

ところが、JR山手線の駒込駅から徒歩12分のはずが、方向音痴の私はスマホで地図を見たにもかかわらず、とんでもない方向に歩き、足が疲れて、くたばりそうになりながら旧古河庭園にたどり着いた。薔薇の花たちは、くたばりそうな私に美しさを見せてくれ、その薔薇の名前も花に合っていて感動した。さらに、その薔薇にカメラを近づけて撮影している方々のカメラが高価そうでジロジロと見てしまった。国技館で写真を撮影している外国人の方々もかなり良いカメラを持っている。どちらが良いカメラを持参しているのか? と必要のないことを考えた。

旧古河庭園の薔薇

そして旧古河邸(大谷美術館)に入った。本館建物と西洋庭園は、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルの設計で、大正6年(1917年)5月に竣工したのだが、どこが美術館なのかと思って、係の人に尋ねたら「この建物そのものが美術館なのです」とのことだった。

そして館内の掲示の「大谷美術館は、鉄鋼業・ホテルの経営で知られる大谷米太郎(1881年‐1968年)が晩年に計画し、実現を見ずして世を去った事業です」までは冷静に読めたが、そのあと、無知の私は驚愕した。大谷氏は富山県の貧しい農家の生まれで学校に行けず、日雇労働者から大相撲の力士になり、巡業で訪れた室蘭製鉄所を見て一生の仕事にしようと決意。国技館に出入りする酒店も営業したという。大谷氏がホテルニューオータニを起業したことは知っていたが、力士だったことは知らなかった。

私は大相撲から人生を学ぶことを一生のテーマにしているが、薔薇を見に来て、大相撲から人生を変えた人物を知るとは思っていなかった。感動で泣きそうになりながら、館を出ると、スマホが鳴った。大相撲ファンの「師匠」からのメールだ。出入り口から少しのところにコミュニティバスのバス停があり、駒込駅に行くとのことだった。帰りは方向音痴を発揮せずにバスに乗り、しみじみ大相撲と人の繋がりは素晴らしいと思った。

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