イラスト:古谷充子
ウィズ・コロナの生活が続き、家にこもる時間は増えるばかり。人に会う機会が格段に減り、コミュニケーションに飢えている人は多いはずと思いきや、たとえ誰にも会えない状況でも寂しくなんかないという方がいます。その理由は、大切なものがそばにあるから――(「読者体験手記」より)

人生は土俵から学んだ

秋のある日、私はこの世に必要のない人間だ、と思った。家族はみな亡くなったから自分が死んでも誰も悲しまない。重度の認知症の母と病気の兄を抱え、仕事をしながら10年間綱渡りの日々を送ってきたが、兄の死と、その8ヵ月後の母の死によって過酷な日々は終わったのだ。

寂寥感に襲われ、気を紛らわそうとテレビをつけると、新大関の正代(しょうだい)が11月に両国国技館で開催される大相撲について抱負を述べている。私は正代の様子から、新大関の重圧で好成績を残せないか、ケガで途中休場するのではないかと予想した。

9月場所前、新しいトレーニングをしていた朝乃山のこともふと思い出す。あれを続けていたら朝乃山も次の場所は心配だ。そう思った途端、目の前が開けた。

私には60年以上愛し続けてきた相撲がある。来世は男に生まれ変わって大横綱になると、小学生の時自分に誓った。今はテレビだけのファンだが、近所の人に聞こえないよう窓を閉め、ヤジを飛ばして大相撲中継を見なければ。

直径4.55メートルの土俵の中、何が起こるかわからないのが、大相撲の醍醐味。日頃の稽古はもちろん、土俵にあがってからの集中力が立ち合いとその後の勝負を左右する。一瞬の迷いですべてが台なしになり、ケガや病気に出世が妨げられることも。それらに耐えながら相撲を取り続ける。子供の頃から親や先生、本ではなく、相撲で人生を学んできた。

交通事故で頸椎(けいつい)を捻挫した時も、同じ痛みに苦しんでいる力士を知り、耐えたのである。