父の肩車で見た初代若乃花の投げ
相撲に夢中になったのは、5、6歳で初めて国技館に行った時。《土俵の鬼》と言われた初代若乃花の取組が始まると、父が2階席から、1階の花道まで連れて行って肩車してくれた。当時は花道での観戦にもおおらかだった。若乃花は対戦相手を叩きつけるように土俵に投げ、相手は頭から落ちていく。観客の歓声がドッと降ってきた。
父は私を肩車したまま支度部屋へ向かい、若乃花を待ち伏せする。カメラマンのフラッシュで若乃花の黒々とした大銀杏(おおいちょう)が光った。上気した頰が輝き、羽織った浴衣から肩の筋肉が盛り上がっているのが見える。「若乃花!」「日本一!」という声。何もかもが心に響いた。相撲は美しい。また見たい、ずっと見ていたいと父の肩の上で思った。
小学生になると、実際に相撲を取ってみたくなった。チャンスは思わぬ時に訪れる。女子たちがゴム段という遊びをしていると、男子が女子のパンツを見ようとし、怒った女子たちが男子を追いかけた。私も追いかけて行き、ある男の子の半ズボンのベルト部分を掴んで、掛け投げをかまし、見事決まった。
家に帰ると、母が「さっき男の子がやって来て『雅代ちゃんに暴力を振るわないでと言ってください』と頼まれたけど、どういうこと?」と言う。「暴力」ではなく、「掛け投げ」と言ってほしかった。
引退して親方になった初代若乃花は、小柄な平幕力士・若浪(わかなみ)が優勝した時、「小さい力士でもがんばれば優勝できる」と言っていた。中学のクラスで2番目に背の低い私はその言葉にも励まされたのだった。
高校ではさらに孤独な相撲ファンとなる。クラスの友達が家に遊びに来て、私の部屋に入った途端、「嫌だあ、なによこれ」と叫んだ。相撲雑誌の写真の切り抜きや、付録のポスターが壁に貼ってあった。塩をまく姿、四股を踏む姿……。それを「男の裸の写真を部屋に貼りまくっている」と学校で言いふらしたのである。