『リズム&ドラムマガジン』 1995年 7月号  高橋幸宏 / 青木達之(写真提供:池松潤 以下すべて)
高校の同級生に「青木」という名の男子が2人いました。ケンカ青木とバンド青木。後者は顔面青木とも呼ばれてました。ケンカにめっぽう強い青木と、バンドをやっている青木。背の割に顔が大きかったから顔面青木と呼ばれることが多かった。やがて東京スカパラダイスオーケストラのドラマーとなり、小泉今日子などに楽曲を提供するようになった青木が高校1年生だった頃の話です。
今年はスカパラは35周年だそうです。君が亡くなって25年。年月を感じるお墓を前にして、伸びた草を刈った。いまだに何者でもないオレが、天才と呼ばれた君とのさりげない日々に思いを巡らせようと思う。君への言葉をいま書き残しておかねばならないと思ったから。
この記事の目次
スカパラ35周年と青木が亡くなって25年
あの日から変わったもの、変わらないもの オレたちの1982年 不遇な家庭とスクール・カースト 今を生きる意味 またあの蒼い空で会おう

スカパラ35周年と青木が亡くなって25年

2024年4月、NHK『朝イチ』からは、東京スカパラダイスオーケストラが35周年を迎えたことが流れていました。朝の時間帯には似つかない華やかな演奏の後、メンバーのエピソードが語られている。もう35年ということは、君が亡くなってから25年経ったということ。映像をぼんやり眺めながら、君がもし生きていたらどうしていただろうか。そう考えていたらあの蒼い空を思い出しました。

オレ「どう調子は?」

青木「まぁ。いろいろあって大変」

オレ「そっか」

青木「そうそう。あいつ。ゴリ松にババ(タバコのこと)で捕まったみたい」

オレ「バカじゃないの」

青木「明日の朝には正面玄関に貼られるね」

ひとの停学をネタに他愛もない会話をしたあの日。白い校舎に蒼い空がキラキラしていました。

慶應義塾高等学校・正面玄関