あの日から変わったもの、変わらないもの
日吉の丘に建つ慶應義塾高等学校の校舎は、1934年に曾禰中條建築事務所の網戸武夫によって設計され、鉄筋コンクリート製の3階建てとして建てられました。太平洋戦争中は海軍の司令部として使用され、終戦後は進駐軍である米軍に接収されました。
そのためか、教室のドアは分厚い鉄製で非常に堅牢にできています。バネなどの仕掛けがないため、勢いよく閉めて手を挟んだら指が切れそうなほどでした。
トイレは冬は寒く夏は暑い。そしてタバコを吸うための場所でもありました。現在の南側グラウンドは人工芝になっていて、土埃に悩まされることはないでしょうけど、当時の南側グラウンドは土だったので、土埃でいつも机は埃っぽかった。登校して最初にすることは、トイレットペーパーの芯を抜いて楕円形にし、机や椅子を拭いてきれいにすること。そのトイレットペーパーは眠るための枕にもなりました。
1学年18クラス、男子学生が約850名のマンモス校。巨大な校舎に、トイレは南側と北側2ヵ所にしかありません。休み時間の混み具合が想像できると思います。君と最初はただの顔見知りに過ぎませんでした。
ケンカ、タバコ、廊下に置かれた謎の巨大なうんこ。毎日が事件の連続だった気がします。トイレでの何気ない会話が、君との初めての出会いでした。君は慶應普通部から、オレは中等部からの進学。まだ高校1年生で、学生服の詰め襟にカラーを入れていました。お互いにウブでした。
オレ「最近、片岡義男にハマってるんだ」
青木「へぇ。どんな本?」
オレ「バイクとかサーフィンやってる主人公が多いかな。あとステーションワゴンに乗ってる綺麗な女性がよく出てくる」
青木「いいな。海でも行きたいよ」
オレ「こんど行こうよ。逗子とか」
青木「うん。もう夏だねぇ」
遠い目で話す君は、少しブラウンのような灰色がかった目をしていました。結局海に行くことはなかったけど、はっきりと憶えています。静かに笑みを浮かべ、落ち着いて語る君の声からは、生まれ持った賢さというか、一見控えめだけど「揺るぎない芯の強さ」があったのだと。