不遇な家庭とスクール・カースト
君とオレを引き寄せたのは、家庭環境だったように思います。お互い家庭環境については触れたくない話題でした。言葉を交わさなくてもその事をわかっていたのも事実です。温かい家庭に恵まれているとは言い難い状況でした。周囲には日経の記事に登場するような大企業の息子や、政治家の子息が多かったから。だから触れられたくない家庭のことが共通言語のようなものだったのは間違いありません。
そして、慶應義塾高等学校はマンモス校だったので、日本社会の縮図を体験できる場所でした。
例えば、当時の生徒会費が一人約5千円として、全校生徒2500人で1250万円もの予算を生徒会が配分していました。社会の縮図とは、目に見えない階層が存在すること。そして内部出身者が偉いという空気感に加えて、頭の良し悪し、容姿や親の経済力などの総合力を推し量る文化がありました。つまり校内の擬似的な社会評価の総合力で、スクール・カーストが形成されていたのかもしれません。高校生なのにすでに社会における生きる力が試されていたように思います。
しかし、そんな事は関係ないとばかりに君はいつも飄々としていて、音楽の世界へ突き進んで行きました。君の天才ぶりを感じたのは、日吉祭のメインステージにドラマーとして現れたとき。音楽に無関心だった僕でも、その凄さが分かりました。同い年にこんな才能を持った人物がいることに衝撃を受けたものです。オレは学園祭で女の子を追いかけているただの高校生。才能の違いがあまりに大きくお話になりませんでした。
高3の日吉祭のあと、渋谷で100名ちかく同級生のメジャーどころな顔ぶれが集まったとき、君と乾杯したことを忘れません。
青木「どう?女の子の調子は」
オレ「なに。それ。勘弁してよ」
青木「可愛い子。オカジュー(自由が丘のこと)で連れてたらしいじゃん」
オレ「静粛に。静粛に」
青木「よろしくお願いしますよ〜」
軽口を叩きながらも、高校生らしい「カッコよさとは何か」(ダサいのは嫌い)という美意識で通じ合っていたからでしょうか。他に思い出すのは、トイレ、タバコ、女の子、しょうもない笑い話ばかりで誌面には書けそうにありません。でもね。メジャーデビューしても、あの頃のカッコよさを続けていた君が眩しく見えたのは確かです。