兄がNさんに従っていた理由が分かった

その後、兄は認知症がひどくなり、老人ホームに入居し、そこから入院していた精神科病院にNさんが付き添って通院した。Nさんは診察の予約をお昼前にし、兄が街の食堂で好きなメニューを選んで食事ができるようにした。食べるのが大好きな兄は嬉しかったことだろう。私も一緒に食事をして、今では貴重な思い出になっている。

兄は下血などがあり、老人ホームから一般の総合病院に入院。そこから、精神病で身体の病気もある人を受け入れる病院に転院した。Nさんは兄に説明し、転院をスムーズにしていた。当時、私は血管の詰まりが分かり、会社に勤めながら、入退院を繰り返していたので、Nさんがいてくれて本当に助かった。

私は、兄がNさんだと従うのが不思議だった。彼女に聞くと、「私は修羅場をくぐっていますからね」と答えたので、経験がものをいうのだと思っていた。

最近になって兄がNさんに従っていた理由が分かった。統合失調症や認知症があっても、その病状だけを見ずに、それまでの人生、本来の性格、人間全体を見て、その人に最善のことを考え、それを実行しているのだと思った。それが兄に伝わったのだろう。

そう思った時、母が認知症になる前に私に、「お兄ちゃんは良いところがある。おいしいものを買ってきた時、妹の分はあるのかと必ず聞く。二つ食べて良いと言っても、妹に食べさせると言って残す。病気が悪い時もそうだった」と、話していたことを思い出した。

私は兄の病気の部分だけを見て、兄の良いところを探すことをしなかったのだ。

兄が亡くなった時、知人たちに「良かったわね」「お兄さんのために、あなたは一生を無駄にした」と言われた。

兄が気管支炎で亡くなる1週間前に私は面会に行った。私は兄の顔色などから死期が近いのが分かった。その時、兄は照れたような顔をして、「おまえは俺の妹だ。可愛いよ」と言った。統合失調症の兄との長い旅の終わりに、その一言が聞ければ、私は十分だった。                                   

(おわり)