戦時中、必死に生きる

芳夫の召集と同じ1944年6月には、すぐ下の弟一郎の乗った輸送船が鹿児島湾の沖で沈没し、一郎は戦死しました。

1945年3月、嘉子は幼い芳武を連れ、一郎の妻嘉根、その子の康代とともに、福島県坂下町(ばんげまち)(現在の会津坂下町)に疎開することになり、8月15日の終戦もこの地で迎えました。

食料の確保も難しく、生活環境が整わない中で、幼い子どもを守るための必死の生活でした。

その間、4月の空襲で明治女子専門学校の校舎が全焼、5月の空襲で港区高樹町の自宅が焼けて、両親は小田急線の稲田登戸駅(現在の向ヶ丘遊園駅)近くへと移りました(その頃、貞雄は台湾銀行を辞めて火薬工場を経営しており、それがこのあたりにあったのです)。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。


三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(著:神野潔/日本能率協会マネジメントセンター)

2024年度・前期連続テレビ小説「虎に翼」のモデルは、日本初の女性弁護士の一人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長・三淵嘉子(みぶち・よしこ:主演・伊藤沙莉、脚本・吉田恵里香)。

本書では、三淵嘉子の生誕から晩年までの生涯と、嘉子とともに歩んだ家族、友人、同僚たちについて紹介する。

嘉子が生涯を賭して成し遂げたかったこととは何だったのか。

「女性活躍」が求められる今にあって、その先駆者の生涯が今、明らかになる。