「塩の輸入量増」が美談の起源

上杉領の越後(えちご)から武田領の信濃へと続く糸魚川(いといがわ)街道は、古くから塩の流通ルートとして有名である。

今川氏による荷留によって駿河からの輸入が止まったことで、民間ルートでは糸魚川街道からの輸入量が必然的に増えた。

この事実が「謙信からの贈り物」として美談になった、というのが真相のようである。

※本稿は、『あなたの知らない日本史の大常識』(宝島SUGOI文庫)の一部を再編集したものです。

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あなたの知らない日本史の大常識』(著:日本博識研究会/宝島SUGOI文庫)

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